第91回 北海道ゴルフ倶楽部

北海道ゴルフ倶楽部

北海道ゴルフ倶楽部

 

 

  日本ゴルフコース設計家協会設立と
          加藤・金田会談
 
 世界的にはR・Tジョーンズ、ピートダイ、日本では井上誠一、上田治、佐藤儀一といった巨匠扱いは別として、ゴルフコース設計家はゴルフ界では、まだ地味な存在だった。日本ゴルフコース設計者協会の存在を知らぬ人も多かっただろう。
 その日本ゴルフコース設計者協会(JSGCA・川田太三会長)が今年は大忙しで動いている。3月22日には六本木鳥居坂の国際文化会館、(ゴルフ関係、赤星四郎邸跡)で創立20周年記念レセプション、6月4日にはわが国ゴルフコース発祥地六甲山ゴルフ場で、神戸ゴルフ倶楽部開場110周年記念と併催する形で、JSGCA創立20周年記念ゴルフ大会を開催している。
 組織として誕生するの20年前だが、その動きはもっと早く、さらに10年~20年前だったろうか。筆者は東京九段下のホテルグラウンドパレスで、当時飛ぶ鳥を落とす勢いの人気設計者加藤俊輔氏と昼食を共にした。用件は、小生発行のゴルフ新聞にインタビュー記事を取るためだった。用件を終わったタイミングで、加藤氏から「金田武明氏と会いたい。紹介してほしい」という話が出た。偶然にも金田事務所は、グラウンドパレスの前近くだった。
 当時加藤氏は、伊豆ゴルフ倶楽部を発表、突兀としたマウンドを多用したリンクスタイプの“スコットランド憧憬を主題にしたかのような新設コースを続々と発表、新設ブームの主役と思われていた。一方の金田武明氏は米国大学へのゴルフ留学アマチュア日本代表というキャリアの新進設計家だった。流行児加藤氏にとって、米国流正統派の金田氏は、気になる存在だったろうか。2週間後、加藤、金田そして筆者3人会合が、同じグランドパレスで対談記事の取材として実現した。その後の食事時間に、加藤氏から「新しい設計家が続出している、一つの団体をつくる時ではないか、という提案が出て金田氏も米国の例を紹介して直ちに賛成した。
 こうして平成5年6月3日、東京有楽町の外国特派員協会ホールで、協会設立が発表された。発起人代表金田武明、初代会長加藤俊輔2代目金田武明、発起人の中には小林光昭(3代目会長)、大西久光(4代目会長)、佐藤健(5代目会長)、川田太三(6代目現会長)の名がある。設立趣旨は、技術の研鑚、国際感覚の習得、ゴルフコースイメージの向上、隠れた新人設計家の発掘、先人設計家の業績表彰、記録など。
 以上の経緯から判るように、日本ゴルフコース設計家協会設立は加藤俊輔氏の手柄である。当時の加藤氏の仕事っぷりは凄まじく、一時期加藤方式のスコットランド憧憬調のリンクスランド様式の新設コースでないと会員が集らないという風潮さえ生れた。
 それから20年である。
 
 イーグルコースをラウンドする。
 
 平成4年7月17日~19日の3日間、筆者主宰の「新しい名門、発見の会」16名は、北海道の新しい名門3コースを巡回プレーしたことがある。北海道クラシック、恵庭CC、北海道ゴルフ倶楽部の3コースである。その時、加藤氏から
 「北海道ゴルフ倶楽部に行くなら、ライオンコースを廻ってください。ランディングゾーンをきびしくしぼって、私が自在につくったスコティッシュ様式ですから」と注告を受けたのだが、予約が取れたのはアメリカンスタイルのイーグルコースだった。
 北海道ゴルフ倶楽部の36ホールは、太平洋を眼下に見る丘陵地に展開している。開場時の経営母体(株)北海道緑化開発は、熊谷組出資のグループ会社で、設計の加藤俊輔氏もまた熊谷組育ちである。
 ライオンコースは、大胆、自在につくられたスコティッシュ、スタイルである。加藤氏は、我が国で初めてリンクススタイルを提案した人である。ライオンコースでは、その意図がより自在、より存分に主張されていた。
 プレーできなかったが試しに足を伸ばした視察では各ホールは、ティグラウンドに立った時途方に暮れるほどフェアウェイは狭く、マウンド群は波頭のように突兀としていた。しかし、加藤氏によると、「プロや上級者は、ゴルフらしいほんとのプレイアビリティが溢れていると喜ぶのですよ」という人気だったようだ。
 しかし、平成4年7月、筆者が回ったのは加藤氏が「普通のアメリカンスタイルですよ」と表現したイーグルコースだった。RTジョーンズ、J・ロビンソンなどの設計コースに慣れてしまった筆者には、確かに“普通のアメリカンスタイルだった。10番ホールまではそうだった。
 
 18番ホール、フラットな島(アイランド)グリーン攻めの玄妙
 
 しかし11番(573ヤード・パー5)で雰囲気は一変。8番(597ヤード・パー5)以降コースは、太平洋から吹き上げる海風を強く受けるようになり、それだけリンクスムードが濃くなるが、プレーは難しくなる。特に11番ホールは、左側にかん木をもった湿原、さらにその外側に渺茫たる海面を伴走させていて、リンクス憧憬の気分が一層濃縮されて見えた。
 設計者もそうした原自然には敏感で手際よくその景色、地形をプレー戦略に取り入れている。第1打の左、右に水面、それをつなぐクリークをフェアウェイに横断させて、第1打のランディングゾーンに緊張感を盛り上げている。
 14番(351ヤード・パー4)はグリーンが池の上に突出した半島状の上に造られている。気になるのは、フェアウェイ右の池につくられた長いビーチバンカーだ。バンカーの砂の色が白い砂ではなく黒い礫石で敷き詰められているのが珍しく、ティから黒く見えてバンカーの姿として珍しい色彩感だった。球を入れてしまえばアンブレアブル以外に方法はない造りだが、これは戦略的設計というより造園的設計だったのだろうか。
 砂ではなく礫石を、白ではなく黒を敷きつめたバンカーで設計者は、何を実験し何を主張したかったのだろうか。
 18番(336ヤード・パー4)は、230ヤード地点から約170ヤード先のアイランドグリーンに打って行くパー4である。今の日本では珍しくない姿の設計だが、凡百の島グリーンと違って、グリーン面を殆ど真っ平らにしているので第2打点からグリーン背後の池の水面がはっきり見える。距離的には絶対安全な2オン狙いだが、背後の水面がチラホラで心理的に、攻めの怯みが出そうだ。まして風の日には、このホールの2オン狙いには、難易度が倍加する。風の強さと方向によっては、予想以上にタフなパー4に化けることもあろう。
 最終ホール、特に勝負を争ている時のラストホールとしては、風向き次第では手強い難ホールとして有名になりそうだと思った。
 こう考えると、イーグルコースは確かにライオンコースに比べて総ヤーデージとして7123ヤード対6644ヤード、コースレートが73.4対71と規格では劣っているが、設計者が言うほど、「誰でも楽しいコースを」期待できる楽なコースでもない面もあるようだ。
 
 さらに数年あとの話。設計したコース80も超える加藤俊輔氏に対して、筆者は
 「加藤さんにとって処女作の芥川賞は伊豆G、プロとして完成された直木賞は瀬戸内海GCですか」
 と不躾けな質問をしたことがある。加藤氏は、微妙な笑いを洩らして返事はなし。加藤氏には御殿場もある。もしかしたら、育ての親、熊谷組から「設計に注文はナシ、思う存分にやれ」(加藤氏の言葉)と励まされた北海道GCこそプロとしての力倆を結集した直木賞的成価と思いたかったのだろうか、と今にして思われるのである。
 

コース所在地   北海道苫小牧市錦岡440-1
コース規模     ライオン18H・7062Y・P72
            イーグル18H・6664Y・P72
コースレート    ライオン73.4 イーグル71.4
設計者       ともに加藤俊輔
開場         平成3年6月3日
経営        (株)北海道ゴルフ倶楽部(熊谷組グループ)

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