第58回 広島カンツリー倶楽部 ~八本松コース~

 

 

戦前の名門広島GCの「兄」と「弟」

 広島県下第1号のゴルフ場は、昭和4年5月、加茂郡原村八本松にオープンした広島ゴルフ倶楽部である。岡山霞橋ゴルフ倶楽部(昭和5年開場)より1年早い。中国地方のファーストランである。
 広島県下には、2つの名門倶楽部がある。現在の広島ゴルフ倶楽部と広島カンツリー倶楽部(西條コース、八本松コース)だ。名称は僅かに違うが、親は一つ、両倶楽部を分かつたのは戦争、そして原爆被災だった。歴史を辿ってみよう。
 戦前の広島ゴルフ倶楽部は、初め12ホール・パー48でスタート。原村コースあるいは八本松リンクスと呼ばれていた。設計は天野進作、中村尋。一年後増設、18ホールとなる。中国地方唯一の18ホールズだった。そして太平洋戦争。昭和17年暁部隊演習場として陸軍が接収、閉鎖。そして終戦。コース跡は広島大学水畜産部の演習林(加茂農場)となっていて、止むを得ず、戦後再発足の広島ゴルフ倶楽部は、昭和27年11月、広島市西郊鈴ヶ峰に6ホール・1395ヤードのショートコースとして、形ばかりの復活を果した。29年9ホール、現在の広島ゴルフ倶楽部鈴ヶ峰コースである。思い通りの復活が成らなかったのはなぜか。『鈴ヶ峰50年史』は、「会員の大多数が戦災死し…」と書く。戦災死とは原爆被災死である。昭和49年8月ようやく18ホールとなる。
 昭和30年、広島GCの残党のもう一つのグループが、「9ホールでは飽き足らず…」、旧コース跡の東隣西條盆地に、丸毛信勝設計の18ホール、広島カンツリー倶楽部西條コースを開場する。
 しかし10年経てば事情も転換する。広島大の加茂農場が移転した。その跡即ち戦前の広島GCの跡地に、昭和38年11月17日、広島カンツリー倶楽部八本松コース(上田治設計)18ホールが復活した。
 現在の八本松コース内には、旧コースの遺跡が残っている。5番ホール横には戦前の旧広島GC15番ホールの跡を記念する碑文が建てられ、9番ホール右の松林には、広島大演習林加茂農場のサイロが残っている。
 こう見てくると、同じ父の血を受けながら、三男坊の八本松コースこそ、戦前派広島GC八本松リンクスの承継者といえそうだ。

赤松の幹立ちの魔術師・上田治

 広島CC八本松コースは、上田治第1の代表作といわれたことがある。
 平成1年に取材ラウンドした時、当時の総支配人河内康氏から、
 「西日本には、古賀GC、下関GC、大阪GCなど上田治設計のコースが多いが、原設計をそのまま残しているのは、八本松コースだけだと思いますよ」
 と聞いたことがある。平成16年の日本女子オープンを前に、2グリーンから1グリーンに改造される前の話であるが、八本松コースが、上田治設計のシンボリックな代表作であることに変りはない。
 上田治は、このコースを設計する際、旧コース時代から受け継いだ背の高い樹齢数百年の赤松の独立樹を主体に、①OBはつくらない。②ローカルルールめいた設計を避ける。③変則スウィングを打たせるようなアップダウンはなし、という3原則で設計したといわれている。特に、巨松の独立樹の扱い方は、風趣としても戦略としても、秀逸である。
 地名が八本松である。コースには赤松の巨松が目立つ。フェアウェイは、松林の中を縫って伸びている。そのフェアウェイ上には高い一本松が仁王立ちしていたりする。グリーンの門口(昔流にいえばエプロンの場所)には2本の大きな松の幹立ちが並び、ドッグレッグの曲り角には、ひと際目立つ高い松が立つ。ティに立つと2グリーンの筈が、見えるのは、左グリーンだけである。敏感なゴルフ理解のある人なら、“アレ、上田治は井上誠一と並んで2グリーンの生みの親といわれているが、ほんとは1グリーン主義か”と忖度しとたくなるシーンがいくつもある。
 このように八本松コースの上田治は、松の幹立を、戦略ラインの立役者として、大きな役目を担わせているのだ。
 林間コースとは、フェアウェイの両側に林が伴走している風趣だけを言うのではない。たとえば、老松と老松の間を打ち抜いてゆく2番ホールの第1打の厳しさ、10番ホールでは、190ヤード地点のメタセコイアの右へラインを誤ったときの、2打、3打の苦しさのように、1本あるいは数本の幹立ち、独立樹が主役となっての緊迫感を持たせているのが、本物の林間コースである。
 その意味で八本松コースは、まぎれもない林間コースの一流傑作である。

1グリーンとしての八本松コース

 上田治は、京都大学在学中から、廣野GCの設計、造成で来日していたC・Hアリソンの技術、美学を目で見て影響を受けている。2グリーン主義である筈はない。しかし彼は、八本松コースを含め多くの2グリーンを造っている。芝をめぐる技術の後進国日本ならではの、止むを得ない妥協だった。その中で上田は、八本松の1、2、4、6、9、10、12、13、16、17番ホールで、赤松という大きなバーチカル(直立)ハザードを配置することで、プレー上は、グリーンが一つしか見えないシーンをデザインしている。それは、設計者上田治の美学的な苦衷(本音)の表現だったのではないか。そして平成16年の1グリーン改造によって、その苦衷の時代は終り、本音を殺して妥協していた本来の上田美学、戦略性が1グリーンの今その姿を見せているのではないだろうか。
 ひと昔前、ここで行われていたヨネックスオープンで、同一大会最多勝記録タイの9勝を挙げたジャンボ尾崎は、八本松コースについて、
 「林間コースは目標がとりやすい」
 と語っている。対してつぎのような意見もある。
 「今のクラブ、ボールはひたすら飛距離を求めて進化、300ヤードを超えて飛ぶ。しかし第2打でインテンショナル(意図的)ボールが打てない。スタイミーな松を前に立ち往生するシーンが増えます」(ゴルフコース設計者協会会長当時の大西久光氏談)
 八本松コースの赤松の老松は、今後は、バーチカルハザードとして、プレーヤーを悩ませるのだろうか。
 
所在地      広島県東広島市八本松町原11083-1
コース規模   18ホール・7035ヤード・パー72
           コースレート   73.7
設  計      上田 治
開場日      平成38年11月17日
コースレコード  (プロ)S・K・ホ 61