第67回 芥屋ゴルフ倶楽部

 

 

名勝「芥屋(けや)の大門(おおと)」を真近に
 

芥屋ゴルフ倶楽部 9番グリーンとクラブハウス

芥屋ゴルフ倶楽部 9番グリーンとクラブハウス

「お国は九州・福岡だが、あちらのゴルフコースでは、やはり古賀GCですか。」
「芥屋GCもいい、楽しいコースですよ」
 と言われる機会が続いた。
 新幹線博多駅から東・北へ車で40分で古賀GC、西へ地下鉄・筑肥線接続で40分前原駅、そこから車で15分走ったら芥屋GC、似たような距離だ。
「楽しいコースとは、シーサイドコースということだろうか」
 芥屋といえば、九州人にはすぐ名勝芥屋の大門が浮かぶ。芥屋の大門は、玄海国定公園の中心スポット。糸島半島の北西突端近くの大門崎の玄界灘の荒波に浸蝕されてできた柱状節理の天然玄武岩がつくる神秘的な洞穴で、高さ約64m、間口10m、奥行90mの洞穴列が延長1800mの海岸壁となって玄界灘に密集している。遊覧船で見ると圧倒される奇勝。北部九州では知られた名勝の一つである。
「芥屋の大門の遊覧と併わせてプレーしてみるか」
 そんな気分で芥屋GCへ出かけた。

赤星四郎と照山岩男の物語
 

芥屋ゴルフ倶楽部 10番ホール

芥屋ゴルフ倶楽部 10番ホール

 芥屋ゴルフ倶楽部は、昭和39年11月15日開場。初め志摩半島所在だから地名を取って九州志摩カントリー倶楽部だった。
 昭和30年代の北部九州は、暗い経済不況に蔽われていた。主要産物の石炭が、輸入石油の安価に追われ、次々に中小炭鉱が閉山、失業者が続出していた。
 創業者高倉一矢は、佐賀県唐津と福岡県田川に石炭の炭鉱を持つ高倉鉱業グループの経営者だった。石炭不況で高倉炭鉱も人員整理が不可避。ゴルフ場新設を考えたのは、社員の雇用創出が目的だった。「利益のためではなく、高倉グループを支えてきた社員のためです」と語っている。
 計画の中心で動いたのは照山岩男である。
 昭和4年26歳のとき、福岡ゴルフ倶楽部・大保コースの初代クラブチャンピオンとなっている。当時九州では屈指のアマチュアだったが、後に日本のプロゴルファー第1号神戸の福井覚治に弟子入り、プロとなる。そして大保コースを拠点に麻生義太賀、三好徳行らアマの名手、藤井武人らのプロを育てた。また戦前の熊本ゴルフ倶楽部(9ホール・戦争中に閉鎖)を設計、戦後はアマチュアに復帰、九州CC春日原、福岡CC和白コースなどの創立、設計監修などで活躍、戦後の九州では、ゴルフ場造りは元よりゴルフ界に居なくてはならない人物だった。「九州ゴルフの生い立ち」という著書もある。
 昭和36年1月頃から、照山は、高倉鉱業のためにコース用地を物色、18ホールの設計図をまとめた。現在地である。
 しかしそこは国有の防風、保安林だった。貸付認可が出るのに一年を要した。その間照山は、用地内をつぶさに歩き、時には松の木に登って地形を調べそして18ホールのコースを設計、高倉社長も喜んだ。
 ところが関係者の間に、有名設計家に頼んだ方が何かと有利だ、と言い出す者が現われて、照山自身が赤星四郎に依頼する破目になった。
 照山は、大保コースの倶楽部チャンピオンである。大保コースの最終の9ホールは、赤星四郎の弟六郎が設計している。照山と赤星四郎は、事前の知り合いだったと思われる。
 照山は後に、「赤星氏の設計も、私の設計も基本的なコース配置だった」と書き、納得していたようだ。
 赤星四郎は、「アウトは芥屋の大門から玄界灘の荒波への船出、インは小春日の庭園の散歩をイメージしていた」と、後にチャーターメンバーの一人が書いている。

赤星四郎ワールドを攻めるには…

芥屋ゴルフ倶楽部 6番ホール

芥屋ゴルフ倶楽部 6番ホール

 昭和39年11月15日、18ホール・7080ヤードで開場。アウトを大門コース、インを小富士コースと呼び、今も続いている。9番ホールは、芥屋の大門崎がよく見えるように、さらに改造されたという。海沿いの9ホールで、時に風が吹き荒れるシーサイドコースだ。
 イン(小富士コース)の9ホールは、短かめの上り下りのホールが続くが、ティに立ってグリーンが見えないような打ち上げホールは少ない。“小富士”とは、インの背後に見える可也山の姿を富士山にたとえたもの。戦時中はその麓に海軍の飛行基地(飛行場)が広がっていて、10代の飛行予科練の少年兵たちが鍛えられていた。筆者の実兄もその一人、幸いに出撃前に終戦となって戻ってきた。
 「赤星四郎氏の設計は、代表作である箱根CCがそうであるように、グリーンとグリーンまわりが本格的、つまりむずかしい気につくられているから、グリーン狙いの局面で、いろいろ考えてしまうが、よく見ると花道はしっかりと開けているので、そちらを狙えば大怪我はない」
 これは、筆者が10年以上前、芥屋GCについて書いた文章だ。賢いプレーヤーなら、ティグラウンドに立ったとき、グリーンと花道の在りようをよくイメージに焼きつけておけ、というわけである。
 しかし筆者も大失敗、しかしその後でこのホールが一番おもしろいと思った。それが、6番(415ヤード・パー4)だ。ティから見ると、フェアウェイ前方250ヤードぐらい、右に傾いたフェアウェイ際のラフにプレーヤー3人とキャディが集っている。“あっちはミスショットの行き先だ”と考えて、筆者は左へ打って、左ラフ180ヤード先に飛ぶ。さらに前方にフェアウェイバンカーがあり、さらにその向う直線でグリーンが見えていた。巨大バンカー越えだ。第2打を打つ。ところがヘッドをラフにとられてハーフトップ、バンカーは越えたが、球は、右傾斜をころがって、先刻前の組がウロウロしていたあの場所に止った。
 赤星氏の地形読みは正確で細かい、見逃しがない。このホールで筆者もその仕掛けにかかった。フェアウェイを右に傾けながら、やや左へドッグレッグする手際が、このホールの難度をヤーデージ以上にしていた。
 7番(469ヤード・パー4)は難易度NO1のホールだ。長い、長いと力んで第1打を右ラフ深く打ち込んで失敗。上ったら7だった。しかし2回目以降は恐らく5以上は叩かないだろう。戦略を作った。第1打は通行料と思って犠牲にしよう。前方の5本松など視野に入れるな。ひたすらフェアウェイだけを見て第1打。無事台地のフェアウェイに乗っている筈だ。筆者の7番ホールは、そこから始まる。
 芥屋GCは、このように楽しい。海沿いの変化のある地形とそれを読みとる赤星四郎魔術との戦いである。クラブハウスからみる玄界灘、芥屋の大門を望むシービューは、何よりの饗応。従業員のサービスマナー、ホスピタリティの細心、叮嚀さも心に残った。
 (プロ競技のKBCオーガスタは、今年8月第40回を迎えるが、この競技では、アウト小富士コース、イン大門コースと入れ換っているのでご注意)
 平成5年、九州志摩CCから芥屋ゴルフ倶楽部に変更。照山岩男は、開場後も支配人、常任理事、キャプテンとして、昭和58年1月27日死去まで芥屋ゴルフ場とともに生きた。

所在地      福岡県糸島郡志摩町大字芥屋1-1
コース規模   18ホール・7144ヤード、パー72
           コースレート・73.9
グリーン     コーライ1グリーン
設計者      赤星四郎
開場年月日   昭和39年11月15日