第44回 ホウライカントリー倶楽部

 

 

ホウライ千本松牧場までの歴史

ホウライカントリー倶楽部 9番(右)~10番(左)共用グリーン、奥にクラブハウス

ホウライカントリー倶楽部 9番(右)~10番(左)共用グリーン、奥にクラブハウス

 東北自動車道西那須野塩原ICで降りて、国道400号線を800メートルほど進むと、(または東北新幹線那須塩原駅下車、タクシーで15分)右側に「ホウライの千本松牧場」の看板がある。それを右に見て直進、つぎの交差点を右折、(この辺りホウライCC、西那須野CCの共用標識あり)直進するとやがてホウライCC入口、さらに進むと西那須野CCである。二つのゴルフ場は、牧場と同じホウライ(株)の経営である。
 そして二つのゴルフ場に隣接して千本松牧場が拡がっている。
 ゴルフ場は、ホウライCCが平成2年、西那須野CCが平成5年と、歴史は古くはない。しかし千本松牧場は、伊藤博文、西郷従道、松方正義など明治の元勲たちが、明治13年設立した那須開発社まで遡る。明治以来の長い時間の中で拓かれた広大な農場、牧場は、その後松方正義の十五銀行、そして三井銀行系の現在のホウライ(株)に受け継がれてきた。域内には、今も松方別邸が残されている。このようにホウライ千本松牧場は、明治以来西那須野の一つの主役でありつづけてきた。

“光の魔術師”ロバート・ボン・ヘギー

ホウライカントリー倶楽部 10番ホール 第2、3打からグリーン

ホウライカントリー倶楽部 10番ホール 第2、3打からグリーン

 ホウライCCと西那須野CCは、西那須野の象徴ホウライ牧場450万坪の中につくられた“牧場の中のゴルフ場”である。
 西那須野は、明るい景色の広がりである。そこに造られるゴルフ場の設計者に、ロバート・ボン・ヘギーを選んだことは成功だった。
 ボン・ヘギーは、1930年テキサス生れ、プロゴルフの後、1957年、R・Tジョーンズの「良きライバル」といわれたディック・ウイルソンの事務所に入る。代表作にフロリダ州マイアミのドラールCCがあるが、ウイルソンにもドラールCCブルーがある。共作か。ドラールCCは、ホウライCC、西那須野CCを連想させる明るさ溢れる地勢、風景のリゾート地である。
 ヘギーは、日本では河口湖CC、身延GC、桂ヶ丘など9コースがある。中では、修景上も戦略設計的にも、ホウライCCとの相似を感じさせるのは、河口湖CC東・西18ホールである。
 ボン・ヘギーの全盛期は1970年以降。“派手な設計”あるいは“光の魔術師”として目立った存在で、設計したコースは100を超えている。光の魔術師とは、現実を、そこに見えている景色以上に美しく表現するという意味。絵画でいえば、光彩を美しく取り入れた印象派、ボン・ヘギーはコース設計界のセザンヌというところか。現存のコースでいえば、光に満ちたドラール・ブルーは、それにピタリである。ボン・ヘギーは、ホウライCCで“日本のドラール・ブルー”をイメージしたのではなかったか、とそんな想像が浮かんだりした。

“美しくもあり/考えの浅いプレーヤーは混乱する”

ホウライカントリー倶楽部 上からみた18番グリーン

ホウライカントリー倶楽部 上からみた18番グリーン

 ホウライCCが開場したとき、人びとはまず、その姿の新しさ、美しさに目を細めた。牧草のヒースと赤松の林立と眩ゆい白砂の配列の中に、絵を描く時のように導入された自然の美しさを見て嘆息したのである。
 特に、二つのコースのラフ、グリーンまわりを彩った牧草のヒースは、日本のゴルフ史の新しい風景だった。牧場は、ホウライCCと西那須野CCのモチーフである。そこでボン・ヘギーは、牧草をハスキューに見立てラフやグリーンまわりの景観を描き上げてみせた。それはスコットランドのコースを彷彿させた。たとえば、ヒースとバンカーに囲まれた17番ホール(190ヤード・パー3)がそうだ。
 しかし人びとはやがて、ホウライCCのコースが、「レベル以下のゴルファーを拒むかのように」造られている一種の嶮しさを感じ始めた。美しいが完璧すぎるという噂が出廻るようになる。戦略的な構図が入念に出来すぎていて、考えの浅いプレーヤーは混乱してしまうのだ。人びとは咳き出した。
 <上級者だけがよろこびそうなコースだ>
 たとえば、11番ホール(376ヤード・パー4)は、確固としたゲームプランニングを持った人でないと、スコアをつくれないホールだ。ティからグリーンは池越えに見えている。フェアウェイは右側に池を抱えて、やや湾曲しながら伸びているが池際で止まり、グリーンは池の向う。ティショットは250ヤード飛ばしても、池越え右狙いで約130ヤード残る。2オン確実とはいえないのは、グリーンは池越え、島グリーンに近い形で池に突出しており且つ目立った2段グリーン、しかも小さい。第2打を池手前に刻んでも、3オン確実とはいえない。グリーンは池側に大きく傾いているからだ。考えの浅いプレーヤーは混乱する。
 18番ホール(416ヤード・パー4)は、左足下りの右大池越え170ヤードを、第2打か第3打か、9番ホール(419ヤード・パー4)も、右側の大きな二本松を抜く池越え2オン狙いか、池の前にレイアップするか、決断を迫られる。なお9番と18番は、池の上につくられた共用グリーンになっていて、その前水際に横長い共通バンカーが横たわっていて、印象に残る。
 ホウライCCは、平成12年~平成14年まで、トーナメントプロのナンバー1を決める日本ゴルフツアー選手権競技の会場となっている。成績はつぎの通り。
 第1回大会 平成12年 72/6865Y
   優勝 伊沢利光 203-63・70・70(雨天短縮) 2位 横尾要
 第2回大会 平成13年 72/7090Y
   優勝 宮本勝昌 273-69・67・68・69  2位 E・エレラ、JM・シンク
 第3回大会 平成14年 72/7090Y
   優勝 佐藤信人 268-67・66・71・64  2位 久保谷健一

こんなエピソードもあった、

 15年前、首都機能移転がやかましくいわれていた頃、ホウライ牧場を中心に、その有力候補に上げられ、殆んど内定状況だったらしい。
 「数年経って、国会議事堂の傍らにホウライCCのフェアウェイが見えていたりすると、いい眺めでしょうね」
 と倶楽部役員の人と話し合ったことがあるのを思い出した。

所在地     栃木県那須塩原市千本松793
コース規模  18ホール・6821ヤード・パー72
設計者     ロバート・ボン・ヘギー
開場日  平成2年8月1日
コースレート  72.2
コースレコード  プロ 伊沢利光   横尾要 63