第6回 大洗ゴルフ倶楽部

大洗 No1

大洗 No1

 

 

 この文章を、ひとつのクイズで始める。
質問―「大洗ゴルフ倶楽部の18ホールズのうち、16番(パー3)を除く17ホールズが、海岸線とほぼ平行に並べて造られている理由を知っていますか」
ヒント。それは開発当初の地元事情と関係がある。
この質問をズバリ正解できれば、その人は、「大洗ゴルフ検定」なる検定試験があるとすれば、確実に優秀な成績がとれるだろう。

現在、大洗ゴルフ場がある海沿いの黒松林帯の歴史は古い。徳川幕府の初期、防風、防砂のために植林したもの。水戸藩主徳川義公が、黒松林の中で月見の宴を張ったという記録も残る。しかし戦争中の人手不足で、松林は荒廃し、戦後になっても、賑わうのは夏の海水浴シーズンだけ。心配した友末洋治茨城県知事は、ゴルフ場を造ったら、一年中人出も増えて地域活性化になるのではないかと考えた。友末知事は、霞ヶ関CCの会員で設計家の藤田欽哉に相談した。知事もまた霞ヶ関CCの会員だった。藤田は、戦前に那須G、霞ヶ関・西コースを共同で設計、同じように霞ヶ関CC会員の設計家井上誠一を推薦した。
ある意味で大洗Gは、霞ヶ関CCの遺伝子をもって生まれたコースといえる。

井上「日本ゴルフコースの宝物」

ところで冒頭の設問に対する謎解きである。
大洗海岸の黒松林は、旧幕府時代以来、農業にとっては防風・防潮林そして防砂林としてなくてはならないものだった。だが、昭和26年ゴルフコース計画が動き出したとき、最後まで反対したのは、地元漁業組合だった。
海沿いの林帯と漁業、あまり関係なさそうに思われるが、大洗の黒松林には、もう1つ≪魚付林≫という役割があった。魚は暗い所に棲む習性があるそうだ。岸辺に影を落す黒松林を取り払ってゴルフ場を造ったら、魚が逃げてしまうと、漁業者が反対した。黒松林の黒い大きな影が、沖に出た漁船には、帰港の目印になっている、という反対もあった。
幸いにしてこの反対は、「砂丘地と黒松林は最大限残すことにする」という井上誠一の設計コンセプトに助けられる。井上は、18ホール中17ホールを海岸線と平行に走らせることで、沖合から見た黒松林帯の影を残し、漁民たちの魚付林を保存したのである。唯一海岸線と直角に伸びる16番・パー3ホールは、林帯のない湿地帯だったという。
以上が、冒頭の謎解きに対する正解である。

大洗 No9

大洗 No9

 井上誠一は、生涯に内外41コースを設計、その中には霞ヶ関CC・西、龍ヶ崎、武蔵、大利根、愛知など名コースが多い。中でも大洗GCは随一の秀作である。彼自身も恐らく会心作を一つ挙げるとすれば、大洗を挙げたであろう。彼は、次のように書いている。
「日本のコースは、余りにも型にはまり過ぎていて、個性に乏しいという感じがする。幸いにも大洗は、日本には珍しいシーサイドリンクス(砂丘地)という立地条件に恵まれ、また他に類例のない黒松林に富み、極めて個性的である。これこそ得難い日本ゴルフコースの宝物といえる」
ゴルフは、スコットランドのリンクスランドから生まれたゲームだ。リンクスとは、海岸の砂浜と後方の耕作地をつなぐ(リンクする)不毛の砂丘地のことである。英国には多いが、日本のような火山列島には、同じシーサイドでも、川奈ホテル富士コースのようなクリフ(断崖)はあってもリンクスランドは殆んどない。井上は、ここで得難い宝物に恵まれたのである。
井上は、次のようなコンセプトで、日本には珍しいこのシーサイドリンクスを設計している。
(1)砂丘地の好ましい自然地形を生かしきる。
(2)黒松林を自然の障害物とする。
(3)池、バンカーなど人工的な造型はなるべく避ける。(小さな池4番だけ、11・15番は昭和30年に追加した)
(4)裸砂地のラフには芝を張らない。それは自然のバンカーだからだ。
(5)裸砂地のラフ、張り出した黒松の枝は自然の障害物である。
(6)大洗海岸には、海風という空のハザードがある。
(7)グリーンは一つが理想である。
まとめれば、自然の地形とそこからかもし出される世界を生かし、人工的な造型は抑えようとした。そういうコンセプトから生まれたものを、井上は人工的な楷書型コースに対して草書型コースとし、その典型が大洗GCだと言っている。
昭和27年9月ゴルフコース建設に着手。28年10月18ホール、7,190ヤード・パー72が本開場。昭和33年コースレート75(現在は74.4)、日本一の難コースという査定が出る。
それでも井上自身は、超難コースを造ったとは思っていなかったらしい。『大洗の五十年』の中で
「英米の一流のシーサイドリンクスの苛烈な様相に比べれば、大洗はむしろインランドコース的、即日本の既製品型コースの色彩が多分に強い」と辛らつな自己批評をしている。暫くはこの程度で、追い追い国際水準に近づければいいとも語っている。本人は、もう少し難しくしたかったのだ。

 最大の難関、17番ホール
メモラビリティでは9番ホールか

大洗のコースは、4番・パー3を除くと皆な難しい。名前が知られているのは、5番(460ヤード・パー5)の愛称“中仙道”といわれるホールだ。ティから300ヤード地点に、数本の松が生えた小丘(中之島)がある。その右を打ち抜くとバーディチャンス、左からフェアウェイを辿るのは安全だが2オンは無理。但し最近は、右ルートの空間が狭くなって冒険が難しくなったようだ。
15番((545ヤード・パー5)は、第2打を狙う時、中央に邪魔になる双幹松が横に枝を張っている。その左を縫って行くのがベストだが、そのための第1打の落とし場所がカギとなる。
フェアウェイ310ヤードの双幹松は、平成15年松喰虫で立ち枯れした。3年後同じ場所に、同じ型の後継松が移植されて、昔の眺めに戻ったというエピソードもある。
最大の難ホールは、17番(460ヤード・パー4)であろう。第1打で、左から張り出した松の枝が邪魔になる。ストレートに飛ばしすぎると、右ラフの松林に飛び込んで、パーセーブは難しい。逆に、第1打で飛距離を抑えて安全運転すると、長い第2打が残ることになる。果断な作戦とファインプレーが必要なホールで、ビッグゲームの勝敗はこのホールで決まることが多い。
筆者が推薦するのは、9番(450ヤード・パー4)である。ティグランドのレベルとフェアウェイが5~6メートルの段差になっていて、しかも第1打をフェアウェイ右側に置かないと、第2打で花道からグリーンを狙えなくなるという難しさがある。
グリーン前のバンカーも深い。飛距離に自信のない人は、ここはパー5と思えばいい。そう覚悟して、第2打は、グリーン面の見える左側からの第3打を打てる場所に止めることだ。
因みに、平成10年10月の日本オープン(田中秀道優勝)では、難易度の高さでは、5番、17番、1番の順だった。
時代とともに、大洗コースも変わった。
長らく親しまれてきた3分の2ベント、3分の1高麗と貼り分けられていたコンバーチブル型1グリーンも、平成3年2月、大久保昌改造監修で、ペンクロスベントの1グリーンに変えられた。また裸砂地のラフは自然の障害物だから砂のまま、芝を張るな、と井上が遺言した黒松林のラフも、芝張りのラフになった。大量に落ちる松カサを機械で処理するためには、砂地のラフでは無理だという。コースメンテナンスが、コースを変えた例である。