第14回 千葉カントリークラブ

   
                                                                                                                                                              それは松の平地林から始まった
千葉梅郷ゴルフ場クラブハウス

千葉梅郷ゴルフ場クラブハウス

 千葉カントリー倶楽部には、野田ゴルフ場(昭和29年開場)、川間ゴルフ場(昭和32年開場)、梅郷ゴルフ場(昭和35年開場)の3コースがあるが、最初に、目をつけたられたのは、野田ゴルフ場ではなかった。
 話は変わるが、関東地方には、幕府時代どころか、昭和初頭まで、広い範囲で松の平地林が広がっていた。松は、大きくなっても建築材にも家具の材料にも使えない。要するに使い物にならない。小さい松の平地林は、根を抜くのも難儀するので、耕作の邪魔になる。そこに目をつけたのがゴルフクラブだった。特に埼玉県入間台地には、日光、鎌倉街道を中心に広大な平地林が広がっていた。役に立たない松も、ゴルフコースの修景にはもってこいである。そこに美しい松に彩られた東京ゴルフ倶楽部、霞ヶ関カンツリー倶楽部が生まれ、平坦な土地に松でセパレートされたコースが、名コースの手本になった。
 昭和20年代、事情はやや異なるが、千葉県北西部野田市周辺にも、松の平地林が広がっていた。それに着目したのが千葉県森林組合連合会専務理事志田一郎だった。後の千葉CC専務取締役となる人物だ。父は元明治大学総長だった。志田が目をつけたのは、現在の梅郷ゴルフ場のある土地梅郷村の松の平地林だった。志田は、小林英年設計、藤田欽哉、井上誠一監修の豪華スタッフで地主と交渉に入るが、結局地主の茂木克己と合意できず、このときは不発に終る。
 茂木はなぜ反対したか。入間台地の松の平地林とは事情がやや異なると書いたのは、次のことである。
 野田周辺の松の平地林は、自生したものではなく、醤油を作るための燃料用としてキッコーマンの醸造元茂木家が、植林したものだった。松も50年生ぐらいになるとヤニが多く火力が強い。薪として重宝だったのだ。
 結局第1弾の梅郷村は失敗、第2候補の弁天池周辺の林地の買収に成功する。現在の野田ゴルフ場である。

野田、川間、梅郷、競う3コース

 因みに志田一郎が最初に考えた千葉CCは、千葉市郊外誉田村(現袖ヶ浦CC付近)にあった亡父ゆかりの明大グラウンド予定地の林地だった。これは明大側に拒絶されている。
 昭和29年3月アウトコース(現インコース)着工、10月9ホール、仮称弁天池ゴルフ場で仮オープン。この間赤羽の学士会ゴルフクラブと合併200人が加入した。翌30年10月9日、18ホール、6,620ヤード・パー72で正式開場。名称も千葉カントリークラブ野田ゴルフ場となった。
 コースは典型的な林間コース、設計の藤田欽哉は「7000ヤード級の森のコースとして比類がない」と自画自賛しているが、ドッグレッグが多く、それがプレーヤーを悩ませる。大木があると絶対に伐らず、設計変更してでも必ずグリーン背後正面にくるよう使ったという。ドッグレッグが多くなる理由だ。それが今は戦略的なおもしろさとして、名物である。平成15年日本女子オープン開催、服部道子が1アンダーで優勝している
野田人気に煽られて第2コースが、川間村五駄沼周辺の香取原に着工した。
 設計は藤田欽哉、下山忠廉。昭和32年11月11日開場。初めは18ホールだったが、後9ホールを増設する。他の2コースに比べるとヤーデージも短く、展開もやや小型だったが、2年前、川田太三設計による改造でグリーン回りの戦略化とヤーデージ伸長が進んだ。特に東コース3,136Y→3,515Y、南コース3,173Y→3,516Y、西コース3,067Y→3,457Yと、18ホール7,100ヤード級に、総ヤーデージを大幅に延長、戦略度アップの評価が高い。

 チャンピオンコース、梅郷ゴルフ場

1グリーン化でグリーン回りのプレーゾーンが広くなりアクセントが付いた

1グリーン化でグリーン回りのプレーゾーンが広くなりアクセントが付いた

 梅郷ゴルフ場は、昭和35年9月25日開場。18ホール、7,111ヤード・パー72、コースレート73.4.設計安田幸吉。この設計家の代表作である。亭々たる赤松の独立樹がつくる修景美の見事さでは、関東随一という評価がある。
 安田設計は、高麗芝とベント芝の2グリーンだったが、開場3年目(昭和37年)にして日本オープンを開催(杉原輝雄1アンダーで優勝)していることでも判るように、チャンピオンシップとしての宿命をもって生まれたコースだったといえよう。
 それが13年前の川田太三による1グリーン改造で、戦略性でも修景の端正さでも一段と磨き上げられた印象だ。
 今、日本のゴルフ界では、2グリーンから1グリーンへの改造が進んでいる。その中で筆者の記憶に残る成功例は、関西の西宮CC(大橋一元改造)と千葉・梅郷ゴルフ場の2つである。共通点は、2グリーンのうちの1つを使って改修するのではなく、全く新しいグリーンを造っている点だ。旧グリーンを2つとも捨てて新しいグリーンを造れば、景色が変わる。景色が変われば攻め方も変わる。それが西宮と千葉・梅郷にあるのだ。
 安田設計も名コースだった。両グリーンが平等な比重で並ぶ堂々たる恰幅のいい2グリーンだった。それが改造で、18ホールすべてが初めから1グリーンだったかのような景色に変わった。当然攻めのゲームプランニングも変わってくる。
 もう1つ、一般に1グリーンは、ティからグリーンへ、ターゲットをしぼり込むようになるので面白いといわれる。そうに違いないが、それが過ぎてグリーン回りが狭くなりすぎて、プレーゾーンが窮屈になる傾向がある。ところが梅郷コースは違う。例えば8番(410ヤード・パー4)は、グリーン回りに芝地のプレーゾーンが広い。その中にバンカーや小マウンドを置くというアクセントもある。景色が全く新しいわけだ。
 改造した川田氏は、「パーオン可能なホールならグリーンまわりも厳しくていい。しかし、パーオンが無理なホールは広くていいと思っている」と語る。道理に合った設計であってこそ攻めて面白くなるのだ。
 ヤーデージを伸ばす時は、バックティをさらに後ろへ退くのが常套だが、梅郷の2番ホールでは利用しなくなった1番の左グリーン跡までバックティを引っ張るという大胆手法で、443ヤードのパー4を517ヤード・パー5に変身させてみせた。
 いずれ2回目の日本オープンが誘致される日も近いだろう。
野田ゴルフ場  18ホール。6,767ヤード・パー72
        コースレート 72.2
川間ゴルフ場  27ホール。東南18ホール、7,021ヤード・パー72

梅郷ゴルフ場  18ホール。7,111ヤード・パー72
        コースレート 73,4