第24回 飯能ゴルフクラブ

 

 

8番池越えパー4の伝説

飯能GC クラブハウス正面 平成11年新築となる

飯能GC クラブハウス正面 平成11年新築となる

 「武蔵野の俤は今わずかに入間郡に残れり」とは、国木田独歩の名作『武蔵野』の冒頭の文章である。
 入間川沿いに、川越から狭山へ国道16号に車を走らせる。右手の沖積台地、入間台地は、昔そこは一面に広がる松の平地林だった。今は霞ヶ関CC、東京GCなど亭々と高い赤松の樹木をつらねていかめしい名門コースが並ぶ。一番奥の飯能GCだけには今も、独歩が惜しんだ武蔵野の修景が少しは残っている。
 東京GC、霞ヶ関CCは日本屈指の超名門倶楽部、コース設計も名匠ズラリで難しい。武蔵CCは井上誠一設計でバンカーの数は120、難易度抜群だ。だが揃ってフェアウエイは広くて平坦、「ほんとに難しいのは飯能GCではないか」という人は意外に多い。理由は、国木田独歩のいう武蔵野の俤を色濃く残しているからだ。
 名コースにはしばしば名10番ホールがある。アリソンバンカーで有名な霞ヶ関CC東コースの10番ホール(156ヤード、パー3)がその代表。飯能GCの10番ホール(406ヤード、パー4)もそう、名10番ホールだ。なにかの都合で、朝のスタートが10番からになったら、その日のゴルフは一日中楽しい筈である。
 10番ホールの第1打は、約180ヤードの池越えながら、パー3ではなくパー4にしたのが設計者の戦略だ。池の名は、河童の悲恋話のある鯉ヶ久保(恋ヶ窪)。池の上手に男河童、下手に女河童が住んでいたが、ある年渇水のため池が乾上り逢引きが出来なくなって嘆き悲しんだという話だが、『新篇武蔵風土記』では、「往昔この地に鯉魚の大きなもの居ればー」と鯉のヒロインになっている。
 池を越えた先のフェアウエイは、かなりの角度で左へ傾いている。しかも左右に深い林立を伴走させているから、第1打の着地点が肝心だ。落下後コロコロと左へころがったら林立の中へ、3オンどころか4オンも危くなる。設計者和泉一介は、「ハンディ15を念頭に設計した」と言っているが、白マークからプレーする人の話ではないか。

戦略化された武蔵野の俤

 所在地は、飯能市芦刈場495。
 飯能の地名は、鎌倉時代関東で勢いのあった武蔵七党の一つ丹党の一族判乃氏が根拠地としたため。13番ホール沿い、国道脇の浅間塚は、判乃氏の姫と源頼家にまつわる首塚である。芦苅場村は、江戸幕府編『新篇武蔵風土記』には、「陸田多く水田少し」と触れただけ。葦の生い繁った38戸ばかりの塞村にゴルフ場計画が動き出したのは、昭和32年頃。参議院議員平島敏夫が初めは、理事長を勤めていた大東文化大学の移転先とする計画だったが、現地視察でゴルフ場に変更した。平島は当時すぐ近く青梅ゴルフ倶楽部(昭和33年開場)を造り上げたばかりだった。
 昭和34年2月㈱飯能ゴルフ倶楽部設立。理事長、社長東谷伝次郎(会計検査院長)、資本金1億8000万円。株主制正会員25万円で300名の第1次会員を募集。

飯能GC 10番ホール パー4

飯能GC 10番ホール パー4

 コース設計は、和泉一介。鷹之台CC(千葉県)では、井上誠一の後を受けて18ホールを仕上げ、隣接する武蔵CC笹井コースでは、井上がルーティング、和泉が詳細設計と分担した仲で、井上誠一ワールドを最もよく知る後輩設計者である。コースは、笹井コースに隣接する6ホールは全くフラット、道路を越えてクラブハウス側3ホールとインコースには自然の顔立ちとしての変化が加わる。アウトでは唯一、9番(511ヤード、パー5)がドラスティックに伸びやかである。
 インコースでは、10、11,13、15、17、18番ホールが印象に残る。11番(431ヤード、パー4)では、右の丘に置かれた右グリーンを狙う場合の第1打のランディングポイントをどう選ぶか、難しい。13番(405ヤード、パー4)は、唯一正真正銘の右ドッグレッグホールだ。バーディとダブルボギーに岐れることも。15番ホール(443ヤード、パー4)は、コース内隨一のサクラの名所、昔の飯能GCでは、4月第1日曜には、15番ティ付近に緋毛氈を敷いて花見酒を酌み交わしたという。飯能GCだけの風流なクラブライフだと、他クラブのメンバーを羨やましがらせたものだが、今はどうだろうか。
 17番ホール(580ヤード、パー5)は、グリーンが、10番ティの対岸に戻ってくるルーティングになっていておもしろい。グリーン前の大木と、グリーンの右半分を池側に向かって無防備に見せたグリーンの置き方に、緊張させられる。
 18番ホール(329ヤード、パー4)は嫌われホールだ。女性で言えば、チビのいたずら娘というとこか。左に池の水面が続くので右めを辿ると、ラフからグリーンバンカーまでどこでトラップにからまれるか油断ならない。勇気をもって左攻めということになるが・・・。
 2000年日本女子オープンでは、最終日終盤6人が6オーバーで並ぶという大混戦。結局18番グリーン上、米山みどりが1メートルのパーセーブを外し、肥後かおりが1.5メートルのパーパットを入れて、やっとこ5オーバーで優勝している。やはり難しい18ホールズだ。

所在地:埼玉県飯能市芦刈場495
TEL:042-972-3680
開場日:昭和34年11月16日
コース:18ホール、6882ヤード、パー72
設計:和泉一介
コースレート:72.7
コースレコード:プロ 中島常幸66
        アマ 鈴木軍治66