第59回 横浜カントリークラブ

 

 

経営者で設計家、先達の遺産“横浜CC”

横浜カントリークラブ 東コース18番グリーンからクラブハウス

横浜カントリークラブ 東コース18番グリーンからクラブハウス

 昭和32年夏、一人の青年が、横浜市保土ヶ谷区今井のとある丘の頂上に立っていた。
 「やってみるか」
 呟いたのは、相山武夫青年。戦前はテノール歌手として混声合唱団を率いた人物だったが、当時は、東京大田区の多摩川河川敷で六郷ゴルフクラブを経営していた。現在は姿を消したが、戦前は近衛文麿も会員だったという六郷ゴルフ倶楽部の跡だ。今は、京浜東北線が多摩川を渡る高架橋の下に、僅かにゴルフ他の練習場として俤を残しているが…。
 当時は都心から近く大いに繁盛していたが、台風で冠水すれば忽ち赤字…。
 そこへ「保土ヶ谷の今井にゴルフ場向きの土地がある」という話が飛び込んだ。芝の生産組合長清水九兵衛がもたらした情報だ。信用できる-相山の気持ちが動いた。相山は、我孫子GCのシングルハンディ、コース設計にも興味がある。「やってみるか」となった。
 その時相山が立っていた丘は、相模国と武蔵国を分つ小高い頂きで、戦国時代小田原北條氏の拠点となった今井城の在った場所、現在のクラブハウスのある位置だ。その時はしかし一面の雑木林が広がっているだけの低い丘陵地だった。
 昭和33年11月㈱横浜国際ゴルフ倶楽部設立。社長・相山武夫。12月から土地買収が始った。競合するように隣接地でスタートした戸塚CC、近くを通る相模鉄道の鉄路など競合に悩まされたが、最大の難問は、昭和34年に開通したワンマン道路こと横浜バイパスの建設工事で、土地代が所によっては坪800円から3000円に急騰したこともあった。但しゴルフ場開場後は、横浜バイパスは家にたとえれば玄関と直結、ハイウェイに一番近いゴルフ場となった。

東コース、西コースそれぞれの誕生事情

 昭和34年6月、東・インコースから造成工事に着手。基本設計は相山武夫、詳細設計は戦前の鷹之台GCを設計した清木一男。清木は、当時の六郷GCを設計した縁である。途中からパートナーは竹村秀夫に交代している。(なお相山は、横浜CCの他、全国で宇都宮CC、塩原CCなど生涯12コースを設計している)
 翌36年東コース、18ホール・5955ヤード・パー70がオープン。
 3年おくれて昭和39年西コース・18ホール・6841ヤード・パー72が開場。高麗芝2グリーンの36ホールが揃った。しかし東・西両コースのスタートの間は約1キロ、クラブハウスも東・西それぞれ小ぢんまりと独立、その間はバスで連絡していた。西コースの進入路は、横浜バイパスではなく、保土ヶ谷バイパス南本宿ICが近い。これを見て、
 「東・西コースが同じ場所からのスタートじゃないと、36ホールズとはいえないよ」
 と忠告したのは、カナダ杯優勝でゴルフ界随一のヒーローとなった寅さんこと中村寅吉プロだった。その時から横浜CCのコース改造の努力の歴史が始った。
 谷口吉郎設計の平安朝風外観の現クラブハウスが完成したのは、昭和45年9月。東・西コースの4ヶ所のスタートティは、ニューハウス間近に集められた。そのためのレイアウト変更は大変な難工事で、ティとグリーンの入れ換え、2ホールを足して1ホールとする、コースの下にトンネルを掘ったという記録も残っている。寅さんの忠告以来6年経っていた。

全国に先駆けた「全36ホール、ベント1グリーン構想」

横浜カントリークラブ 東コース18番ホール

横浜カントリークラブ 東コース18番ホール

 しかし創業者相山武夫の構想は、更に大きかったようだ。平成12年1月10日、10億円を投じての“全36ホールのベント1グリーン化大改造計画”を発表したのだ。相山社長はその席で
 「開場40周年事業として、新世紀にふさわしいプレースタイルの改革をめざす」
 と語っている。
 東コースインコースからすぐに着手。改造設計は、昔はジャンボ尾崎とコンビの佐藤謙太郎。平成12年4月からベントの播種を始めて9月完成、13年東アウトコースと進み、平成15年9月最後の西コースインを終り、平成16年に全36ホールのベント1グリーン化が完成する計画だった。36ホールのオールベント1グリーンは、日本ゴルフ界でも先例のない画期的構想だった。
 しかし改造工事が進み始めた平成12年3月6日、相山社長が急逝(享年85歳)した。結局構想は、東コース18ホールが終了した段階で、中断する。従って今年9月27日~30日の4日間西コースで行われる日本女子オープンは、従来のメインはベント、サブはコーライの2グリーンで利用される。
 地形的には、東コースはやや狭いホールがある。1グリーンの佐藤謙太郎は、戦略派のアーキテクトだから、繊細で頭脳的なプレーが必要。特に1グリーンベント改造で、全く新しくなったグリーンは、攻めるに難しいホールが多い。西コースは比べれば、フェアウェイも広く、グリーンも大きい。18番(640ヤード・パー5)を除けばヤーデージも特別に長いホールはない。アウトコースは、雰囲気、地形ともやや東コースに近いが、インコースはより大らか、140ヤードのパー3(11番)もあるなど、アベレージには息ぬきの場面もある。
 平成23年の日本女子オープンは、優勝スコアが12オーバーと、辛い戦いだったが、名古屋・和合コースと比べると、横浜CC西コースは、ともに丘陵コースながら、和合ほど傾斜が強くない。フェアウェイも比べれば広いし、グリーンは横浜CC西コースの方があきらかに大きい。だから12オーバー優勝はあるまいが、コースアレンジメント如何では、意外に手古摺ることもあるか。ホットスポットは最終18番ホール。全長640ヤードを何ヤードにアレンジするか、競技委員の胸三寸だが、今は女子でもボールが飛ぶ、レギュラティ595ヤードで抑えれば、名場面が期待できるか。
 因みに過去に当クラブ(コース)で行われた主要競技の優勝スコアは、つぎの通りである。
☆日本オープン (昭和53年) 西コース
 優勝 セベ・バレステロス(スペイン) 281
 2位 グラハム・マーシュ(豪) 281
 ベストアマ 金子柱憲 297
☆関東プロ (昭和46年) 西コース
 優勝 青木功 273=69 66 66 72
 相山武夫が生涯の事業とした“全36ホールのベント1グリーン改造構想”で残された西コースが、いつ着手され、完成するか。それを待つゴルファーは少なくないだろう。
 
所在地      神奈川県横浜市保土ヶ谷区今井町1025
コース      西18ホール・6920ヤード・パー72
           東18ホール・6443ヤード・パー72
コースレート   西 72.8  東 70.8
設計者      相山武夫 竹村秀夫
           (東グリーン設計)佐藤謙太郎
コースレコード  西(ベント) プロ 島田幸作 64  アマ 高野善次郎 72
           東(ベント) プロ 佐藤国昭 67  アマ 陳 容 68