第22回 愛知カンツリー倶楽部

 

 

ゴルフ知事が遺した名コース 

愛知カンツリークラブ クラブハウス玄関

愛知カンツリークラブ クラブハウス玄関

 愛知カンツリー倶楽部は、今年10月14日~17日の間、日本オープン選手権競技の会場となる。昭和32年9月小針春芳優勝(288ストローク)昭和46年9月藤井義将優勝(282ストローク)に次ぐ3回目の開催である。1回目と2回目は14年間、対して2回目と今回の間は、36年間と大きく間隔があいたのは、昭和46年開催に際して、当時の革新系知事から「県有地で贅沢スポーツのプロゴルフとは何事か」と批難されたからという説がある。県議会でも「住宅地に開放せよ」「県営パブリックにせよ」という声も強かったそうだ。
 愛知CCのエントランスは、まるで深山に分け入るかのように森が深い。県有地牧野ヶ池緑地という森林公園中にある。その昔は尾張徳川藩の御狩場、太平洋戦争中は、名古屋市街を守るための防空緑地に使われたそうだ。
 戦後、経済が復興し始めた昭和28年、ここに着目したのが、“ゴルフ知事”と異名をとった桑原幹根知事だ。当時名古屋のゴルフ場は、名古屋GC和合コースだけ。その和合も、米軍に接収されて、日本人はプレーもままならない。溢れたゴルファーたちは京都、山科コースまで遠出した。「和合の他にもう1つ・・・」その機運を先取りしたのがゴルフ知事桑原さん。昭和29年東山ゴルフ倶楽部として誕生、設計は井上誠一、用地が県有地なら施工も県土木部だった。開場後社団法人愛知カンツリー倶楽部と改称。しかし名古屋では今でも、愛称「東山」で呼ぶ人が多い。(因みに前2回の日本オープンでは、パー74で争われている) 

井上誠一、もう1つの顔

愛知カンツリークラブ 14番ホールグリーンから 右がセーフティルート左下りになるので、2オンは無理

愛知カンツリークラブ 14番ホールグリーンから 右がセーフティルート左下りになるので、2オンは無理

 愛知CCのコース設計者は、井上誠一である。井上の代表作は、大利根CC、鷹之台CC、武蔵CC・豊岡、笹井など、平坦な松の平地林の中に造られた端正な造型美のコースが多い。等高線の乱れの少ないスルーザグリーンに、形のいいバンカーを掘る。その土量で適度にエレベートされたグリーンを造り、バンカーには、ハンモックマウンドをあしらったりする。グリーンはときに、婉やかな女性のボディを彷彿させたりする。いつか設計家加藤俊輔氏に、「井上誠一が他にすぐれた点を1つ挙げるとすれば・・・」と訊ねた。答えは「造型力でしょう」と簡明だった。
 東京人は、井上誠一を「平坦地の巨匠」と思ってきた。しかし、我々は愛知CCで、冒険好きの青年のような井上誠一と巡り会うことになる。地形的には丘陵だが、一部は山に近い。この地形を見た時の井上は、まるで自分の“居場所”を見つけたかのようだ。
 「ここの最大の長所は、自然地形がゴルフコース用地として理想的であることでした。複雑な起伏があるにもかかわらず、いずれも1ホールの必要にして充分な幅を持った平坦地が尾根によって隔てられています。従って、各ホールとはそれ自体で、自然のままセパレートされています。こんな素晴らしい用地は日本中を探しても恐らく得難いと思いました。事実、現在までのところ、その通りです」
 同じ頃井上は、自身が設計した大利根CC・36ホールについて、全体が同じく見える松の平地林の中に造られていて、自分で設計しながら今何番ホールにいるか判らないほどだ、と嘆いている。意外!!、井上が本当に好きだったのは武蔵CCや大利根CCのような平坦な地形ではなく、複雑な起伏の多い地形だったのだ。「平坦地の巨匠」と讃えられた設計者の本当の姿は、変化に富んだ自然地形を縦横に利用して高度の戦略性を表現する丘陵好みの巨匠だったのだろうか。

右するか、左するか 人気の14番「アパッチ砦」

愛知カンツリークラブ 14番ホールティグラウンドから 右がアパッチ砦

愛知カンツリークラブ 14番ホールティグラウンドから 右がアパッチ砦

 尾根と谷が複雑に入り組む地形に、青年設計家のように嬉々として取り組んだ井上誠一を、愛知CCに探すとすれば、文句なしに14番(539ヤード、パー5)「アパッチ砦」である。
 ティグラウンドの前方、右側にこんもりと盛り上った丘の上に一本のフェアウエイがある。こっちがアパッチ砦だろう。真上を通しても第1打落下点は見えない。しかしグリーンにはより近づく。
 もう一本のフェアウエイは左側幅が広くおだやかな表情で低く伸びている。第2打落下点はよく見える(或いは予見できる)グリーンからは遠回りになるが危な気なく、パーセーブできる。
 右はヒロイックルートあるいはギャンブルルート、左はセーフティルートである。とはいえ右のルートはふけた場合に、左側は突き抜けた時、ともに0Bの危険がある。
 理論的には、コルト&アリソンのダイヤゴナルハザード理論の応用で、対角線上に置かれたハザードを巡って、自分のキャリーをどう選択するか、そこに戦略性を表現しようというレイアウトだ。井上はここでは、バンカーに代えてアパッチ砦という目障りな小山を置いたのである。アリソンの影響を受けた井上としては、優等生の応用である。
 因みにこのホールは、「日本のベスト18ホール」の14番ホールに選ばれたことがある。
 右するか左するか。井上誠一自身は「キャリー180なら右の背骨(馬の骨)を越すが、無理をせず一度台上にのせてもパーセーブ5は困難ではない」と書く。(馬の骨とはアパッチ砦、台上とは左フェアウエイのこと)昭和39年日本アマチュアでは、中部銀次郎が左フェアウエイから攻めて優勝。今年秋の日本オープンでは、石川遼プロはどちらを選ぶか。右かな?

日本オープン前に大改造

 愛知CCは、日本オープンを前にコース改造を終っている。総ヤーデージも6961ヤードから7140ヤードに延びた。しかし今のゴルフなら、日本オープンはパー72か。14番ホールもチャンピオンティは9ヤード、レギュラーティを34ヤード後方へ延ばし、さらに低くしたので砦がより高く感じられるようになった。さらに右フェアウエイライン上に高い4本の木が植えられ、スタイミーになった。それでも右狙いが増えるか。
 従来の愛知CCは、17番グリーンを終った後、17番沿いに約200メートル戻って18番ティにつないでいたが、改造で18番ホールは、ティグラウンドを59ヤード後方へ延ばした。その結果17番グリーンと18番ティの間の逆戻り区間は、約140メートルに縮められた。

 

所在地 : 名古屋市名東区猪高町高針字山の中21-1
開場日 : 昭和29年10月10日
コース : 18ホール、7140ヤード・パー74
設 計 : 井上誠一  レート73.4
コースレコード  アマ 藤木尊茂 68
         プロ 石井廸夫 66・改造後 乗竹正和 68