第12回 箱根カントリー倶楽部

9番ホール

9番ホール

 

 

 リゾート地としての箱根の歴史は古い。天正年間、後北條氏征伐のため小田原城を囲んだ豊臣秀吉も、強羅の藤屋旅館に滞在したという記録がある。200余年後の明治11年藤屋旅館は、米国帰朝の青年山口仙之助に買収され、外国人専用の富士屋ホテルと姿を変える。さらに大正6年、富士屋ホテル仙石別館併設仙石ゴルフコースが開場。宮ノ下御用邸に滞在中の皇太子(昭和天皇)は、毎週プレーに訪れたという。
 箱根仙石原を最初に開発したのは、渋沢栄一だった。明治維新後に、関東一円に牛乳を供給する目的で、神奈川県から湖尻一帯を広く払い下げられ、牧畜と植林の耕牧舎を設立した。その実蹟は、今も箱根CC13番ホールに石碑として残る。
昭和3年宮内省は、湖尻近く現在の箱根湖畔ゴルフコースの場所付近に、外国使節接待遇のゴルフ場を計画したようだが実現しなかった。
 時代はさらに下がる。昭和28年頃、仙石原の大部分を所有していた渋沢系箱根温泉供給株式会社では、新規事業として会員制18ホール、パブリック18ホール、ホテルなどの一大リゾート事業を計画する。日本ゴルフ協会副会長野村駿吉の紹介で、現地を視察した設計の赤星四郎は、「これ以後、これ以上広大なゴルフ場適地は望めない」とすっかり気に入った。クラブ名も「奥箱根カントリー倶楽部」の予定を、赤星は「遠慮せず箱根カントリー倶楽部にすべし」と励ましたという逸話が残る。
 昭和28年4月実動隊として奥箱根興業(株)設立。社長はゴルフ場に詳しい経済出版人高橋修一。後に日高CC(埼玉県)を創立、経営する人物だ。その後小田急資本が入って(株)箱根カントリー倶楽部に吸収される。
 昭和29年7月3日18ホール、7000ヤード・パー74を本開場。箱根外輪山の稜線とコース内の地平の変化を対応させ、“自然に語らせる”設計だった。当初は大きい1グリーンをベント芝と高麗芝に貼り分けたコンビネーショングリーンだったが、整備上不都合で昭和33年ベントを主、高麗を予備とする2グリーンに改造した。現在はさらにベント1グリーンに再改造されている。結果として各ホール大きな横長、縦長のグリーンが多く、ピンポジションによって攻め方も多様、アンジュレーションも微妙だ。

 当初のクラブハウスは、現在の12番ティ背後の高台にあり、山小屋風200坪、芦ノ湖の風を受けて両翼を拡げた形で人気があった。しかし風当たりが強く、老巧化が進み、昭和38年鉄筋2階建ての現ハウスに変わった。同時に旧1番が9番、旧2番が1番、旧10番が18番になるなど、ホール番号が複雑に変更された。

箱根CCの“エプロン”

12番ホール

12番ホール

 箱根CCの各ホールには、他コースに類例の少ない設計上の構図がある。グリーンの入口に造られたエプロンがある。
 一般的にグリーンの入口は、花道といわれている。しかし、このコースでは、エプロン=花道ではない。花道の芝はフェアウエイの芝と同じ、短く刈り込んだだけだ。エプロンは、グリーンの下部構造と同じ下拵え、そして全く同じ芝を張って刈り込んだ部分だ。外見的には、エプロン=花道に見えることもあるが、管理上もプレー上も違う。
 エプロンはより古典的な花道とでも解釈すればいいか。昔のセント・アンドリュース・オールドでは、グリーンの前100ヤードからでもパターで狙った。フェアウエイもグリーンも固くてころがったからだ。その故事から生まれたのがエプロンであろうか。日本でも昭和30年代までエプロンを持ったコースが主だった。しかし造成にも芝管理上もコストがかかるので、いつの間にか姿を消して、箱根CC他数コースを残すのみだ。
 エプロンからはパターで寄せるのがいい。アプローチはパターが定法、それがクラシックな作法だった。箱根CCは、そのように古典的でもある。

印象に残る4ホール

 奥仙石原特有の大きなうねり、沢、沼、地表の盛り上りなどを効果的に戦略化した個性的な18ホールが続く、その中からいくつか印象的なホールを挙げると、次の4ホールか。
 12番(486ヤード・パー5)開場当初の1番ホールである。早川の沢を越えて打つ豪快な打ち下しホール。距離的には可能だが2オン狙わず左側のエプロンから素直に3オン、パーセーブが狙いか。バンカーのガードリングが巧妙なホールだ。
 15番(546ヤード・パー5)最難ホールである。外輪山の裾野にのびたフェアウエイのうねりが大きく左傾斜がきつい。第3打はグリーンへ大きく打ち上げ。昔、女子プロ競技で、有名プロがグリーン奥からのパットをオーバーさせ、3メートル下まで続くエプロンへ転がして苦杯を飲んだこともある。エプロンから3オンできれば収穫である。
 17番(470ヤード・パー4)原初の9番ホールだ。第2打からやや左ドッグレッグしている第1打の落下点付近に4個のフェアウエイ・サイドバンカーがあるが、数年前の改造で、バンカー群の左までフェアウエイで包んでしまった。そこを狙えれば2オン、安全策なら従来通り右側の広いフェアウエイを選ぶ。エプロンはそちらからよく見える。
 4番(440ヤード・パー4)4、5番は早川の流れを渡ったり、越えたり、その前にレイアップしたりのシーンが多い。年に数回放流時の早川の荒々しさは凄い。20年も前その前で立ち竦んだ記憶がある。4番は、第2打で早川を越えることになる。第1打がきれいに打てるかどうか、スコアはティグランド上で決まる。

所在地    神奈川県足柄下郡箱根町仙石原1245
コース    18ホール・7085ヤード・パー72
設 計    赤星四郎
コースレート 73.2
コースレコード (アマ)布川弘久 69