第55回 伊豆ゴルフ倶楽部

 

 

スコティッシュ憧憬ブームのトップラン

伊豆ゴルフ倶楽部 18番グリーン側から見たクラブハウス

伊豆ゴルフ倶楽部 18番グリーン側から見たクラブハウス

 昭和61年8月16日、伊豆ゴルフ倶楽部が開場した。リンクスコースの日本初登場である。その日から“突如”といった印象で、日本ゴルフ界に、熱烈なスコットランド憧憬が拡がる。新しく造られるコースの殆んどが、スコットランドのリンクスコースを模倣した突兀としたマウンド群やポットバンカーがつくられ、ジャパニーズ・リンクスコースが乱立した。
 そのトップランを走ったのが、伊豆ゴルフ倶楽部(以下伊豆G)だった。しかし伊豆Gは、模倣ではなかった。生真面目だった。もっと根本的な意味で憧れたのである。
 伊豆Gコースのアウト区域には、背の高い樹木は一本もなかった。元は茅場だった。
 オーナーの有木賢操氏は、この土地柄にふさわしいゴルフコースとは何か、と英国から米国へと、世界中を飛び廻った。そして辿りついたのが、スコットランドのリンクスコースだった。英国のリンクスランドとは、海岸と少し離れた耕作地との間をつなぐ(リンクする)不毛の地域で、そこで牧童たちは穴を掘り、雑草の一部を平たにしてゴルフを遊んだ。
 しかし彼は、形を真似ようとしたのではない、「私は、日本に英国のゴルフの真精神を再現したかった」と強調する。
 真精神とは何か。彼にそれを悟らせたのは、一枚のゴルフ版画、ゴルフ理解の深いゴルファーならよく知っている「ザ・ゴルファーズ」のキープレートだった。1941年のセント・アンドリユース・オールドで行われたグランドマッチを描いたもので、多くの正装の紳士たちが、画面中央のホールカップに今まさにカップインしようとする寸前の瞬間をとらえたものだ。

一枚のゴルフ名画に感動してー。

 有木氏によると、これは単純な絵ではなく、左方と右方の二つの町の人たちが、勝負によって町の境界を決めようとする18番グリーン上の最後の一瞬を描いたものだという。
 有木氏の渡英中の観察によると、1950年代のスコットランドでは、70キロ間隔で小さい町が点在していて、平均して3つの町の中間位置にゴルフ場がつくられていたそうだ。町と町の間で揉め事が起きたら、ゴルフマッチで決めるのが一番の平和的解決方法だったようだ。
 有木氏は、「英国のゴルフは遊びではない、生命がけの大事を、ゴルフで決することもあったらしい」と語っている。
 そしてまた、おおらかな英国のゴルフ精神にも触れたようだ。ロンドン郊外のセント・ジョーズでは、コース周辺の住人が、スルリとコースに入って只でプレーしても、支配人は「グッドモーニング」。支配人氏は、「こっちも窓をこわしたりして迷惑かけている」と大らか。同じくロンドン郊外のウエントワースクラブでは、コースと大邸宅が塀1重で隣り合って並ぶ。邸宅の中には、1ホールつくられていてそこが彼の1番、2番ホールはウエントワースクラブの任意のホール、あと3番、4番とつないで廻る不届者(?)もいたが、クラブ側は知らんぷりという例も(以上、有木氏の体験談)ほんとかと疑いたくなるほどの大らかさだ。
 「大切なのは形ではなく、英国ゴルフの心だ」と有木氏はぞっこんである。

“心は形から入る”という諺も

伊豆ゴルフ倶楽部 7番(手前)と8番(池の向う) 山上のリンクス

伊豆ゴルフ倶楽部 7番(手前)と8番(池の向う) 山上のリンクス

 形よりも心かもしれないが“心は形から入る”という諺もある。有木氏は伊豆Gで英国ゴルフを伝えるために多彩な設計、意匠を凝らしている。
 リンクスタイプを大胆に採用したのは、4番(174ヤード・パー3)と7番(328ヤード・パー4)の大きな変化のある共用グリーンである。7番側のグリーン面が、ダイナミックに4番グリーンになだれ込むという大胆設計で印象に残る。因みに、共用グリーンは、セント・アンドリユースのオールドコースが、12ホールから18ホールに改造された際、往復で重なるホールのグリーンを共用グリーンにしたのが始まりとされている。
 (私事ですが、伊豆G4番グリーンのホールインワン第1号は、筆者・田野辺です)
 因みに、7番フェアウェイ左側には、汀のバンカーが伴走しているが、汀バンカーも本邦初出と思われる。
 3番(380ヤード・パー4)は第2打からのフェアウェイが全面砂の海になっていて、これはむしろアメリカンリンクスか。1打の刻みに失敗すると、2、3打がバンカーからとなり苦戦する。
 5番(533ヤード・パー5)と6番(429ヤード・パー4)は、有木氏がユンボ(ブルドーザ)を自ら運転して造ったという自慢のホール。フェアウェイ外に置かれたマウンド列とグリーンまわりの詳細設計に、スコティッシュな印象が残る。今では、歳月が経って、いささか目立ちすぎていたマウンドの突兀ぶりが、うまく風化されて独特の味合いになっている。

18番ホールの美しさと難しさ

伊豆ゴルフ倶楽部 18番グリーンまわり

伊豆ゴルフ倶楽部 18番グリーンまわり

 インコースは、スコットランド北部のインランドのコースという風景が続く。こちらは茅場ではなかったので、樹木も少くはない。
 印象に残るのは、17番(399ヤード・パー4)と18番(469ヤード・パー4)である。
 17番は、ゆるく打上げて約230ヤード地点で右へ90度曲り、かなりの傾斜で上ってグリーンへ。第1打は右側の小高い林を越えて1オンを狙うか、フェアウェイなりに2打でグリーンへ辿り着くか。グリーンは、小さなグリーンをさらに上下2段に分け、上は下よりも1メートルは高いというトリッキー設計だ。17番を終ったら、18番ティへ上る前に、峠の上でクリア・ベルをゴーン。これもスコティッシュだ。
 18番は池と汀のバンカーを構えた美しくも戦略的なホールだ。グリーンは、フェアウェイ側からみて、右側に池を構え、花道はクリーク越えの左へ開いている。
 写真界の巨匠といわれた木村伊兵衛氏の高弟でしかもシングルプレーヤーの有木賢操氏が、「第2打以降の詳細設計は、私がユンボを運転して造った」と自慢するだけに、背後にクラブハウスを置き、グリーン、汀のバンカー、池(その池は、3段重ねそれぞれ50cmの段差がある)、右の半島と配置した景観が評判。しかしどう攻めるか。飛ばし屋は左から2オンを狙いたがる。しかしスコアメイクにこだわるプレーヤーは、右から3オンのパーセーブが賢いか。ラッキーはない、と心しておくべきホールである。日本アマ4回制覇の名手が、3度池ポチャしたという難ホールである。
 クラブハウス隣接で、ホテル・モンベルテがあり、温泉つき、30室。
 
所在地      静岡県伊豆市地蔵堂845-67
コース規模   18ホール・7136ヤード・パー72
           コースレート   未査定
設  計      加藤 俊輔
開場日      昭和61年8月16日