第89回 ツキサップゴルフクラブ

ツキサップゴルフクラブ

ツキサップゴルフクラブ

 

 

 A・マッケンジーはいう
    “優れたコースは自然が創る”
 
 「そしてこの自然の美に対するマッケンジー氏の熱意が、アルウッドリー・ゴルフクラブを素晴らしいものにしたのだ。ここではプレーヤーは、自分の技を披露するだけでなく、素晴らしい自然の環境を楽しむ機会を与えてくれていた。」
 これは、マスターズ・トーナメントが行われるオーガスタナショナルコースの設計者アリスター・マッケンンジーの代表作について、彼の師H・Sコルトが述べた賞讃の文章である。マッケンジーの論文『ゴルフコース設計論』の序文としてのせたものだが、同書には、ゴルフコース及びその設計において“自然美”が最重要だと強調した言葉がいくつも出ている。たとえば
 「ゴルフコース設計家やグリーンキーパーがその職業における自己表現として目指すところは、彼の作品が自然そのものと見分けがつかないほどそっくりに、美しさを模倣できることなのです。」
 「コース設計に携わった人々への最高の賛辞はプレーヤーが彼らの人為的な仕事の成果を、自然のままだと勘違いすることでしょう」この二つはアリスター・マッケンジー自身の言葉である。要するに「今あるコースの中で最も素晴らしいと感じるのは、自然が創ったコースです」(マッケンジー『ゴルフコース設計論』)その認識の上に立って、これから書く「ツキサップゴルフクラブ解説」を読んで貰いたいと思う。
 
 唐松と白樺の“北海道自然美”
 
 平成2年(1990年)11月1日付けで筆者は、次の文章を書いている。
 「ツキサップゴルフクラブ
 唐松と白樺の美しい“北海道美”」
 ゴルフ場は自然の中にあってこそ、ほんとの美しさを発見すると思うのだが、この頃のコースでは滅多に自然美とめぐりあうことはない。
 突兀としたスコティッシュスタイルのコースがもてはやされるのも、自然はあっても自然美が少なく、止むを得ず自然を模倣するからだ。自然さを強調するために模倣が大げさになると、かえって人工的に見えて不自然になる。
 とイントロが長くなったのは久しぶりに自然美の美しさをもったコースにめぐり合えたからである。」
 
 ツキサップゴルフクラブ。場所は札幌市内だが、車で走って40分近い。手前に真駒内、滝のといったゴルフ場がいくつもあるのにさらにその先になぜツキサップゴルフクラブが造られなければなかったのかと不思議に思いながら車を走らせた。
 コースに出たとき、その不審は一度に氷解した。インコースからスタート。10番ホールの第二打地点からグリーン廻りを見たときすぐに、この自然を探り当てるためにここに来たのだと推察できた。唐松の美しい林立に囲まれた高原の景色はもはや解釈ぬきの“北海道”だった。さらにその思いは12番ホール、2番ホールに至って極まるのである。
 まっすぐに伸びた唐松と白樺が見事なバランスで交織されていて、それはセザンヌのタッチで描かれた“ゴルフ画”だった。(筆者は別の機会に2番ホールは〈北欧のテンペル画〉のように美しいと書き、テイグラウンドからグリーンまで両側に高い楢の林立が続き、まるで林の中の回廊のような異色の7番ホールについては、〈油彩の風景〉だと比喩して書いてる)
 
 設計は、勲三等安田幸吉プロ

 昭和から平成にかけて筆者は、毎度北海道に出かけ、そのたびにツキサップGCへ行き、そのことを書いている。月寒憧憬である。憧れの因は二つ。一つは唐松と白樺の自然美、もう一つは、設計者安田幸吉への傾斜である。
 安田幸吉。昭和38年3月、東京府荏原郡駒沢村大字深沢字中村、父文吉、母マチの許、農家の4男として出生。当時の駒沢村は、明治天皇が数回兎狩りに来たという雑木林と若干の水田の村。母マチは、家が深沢不動尊の前だったので、片手間にその境内で駄菓子を売っていた。大正2年突然、その寒村にゴルフ場建設の話が降って沸く。井上準之助らによる東京ゴルフ倶楽部駒沢コースの創建である。大正3年6月6ホール仮開場、幸吉は、放課後キャディとなる。大正5年3月9ホール開場。翌6年駒沢尋常高等小学校卆業で東京ゴルフ倶楽部に就職、14歳でキャディマスターとなる。所属プロのスミス、トム・ニコルの指導を受け、同14年専属プロとなる。昭和3年第2回日本オープンで浅見緑蔵につぎ2位。同年日本プロでも2位、昭和4年日本オープンで2位、日本プロも2位、10月アメリカ遠征。昭和5年日本オープンまたも2位。以後競技成績は2位、3位とジリ貧となる。昭和6年第2回米国遠征。最後は昭和16年5月日本オープン37位まで沈む。昭和17年7月東京GC退職、中国の漢口へ。
 戦後は、小寺酉二に薦められコース設計が活動の中心となる。昭和30~50年代にかけて、浮間GC、千葉CC梅郷を皮切りに共作、監修を含め54コースの実績が残っている。昭和33年設立された日本プロゴルフ協会の初代理事長、平成1年には名誉会員として東京GCに復帰。平成3年には、文部大臣表彰のプロスポーツ大賞を受け、さらに勲3等瑞宝章の叙勲を受けている。プロゴルファーで勲3等は、安田幸吉以外一人もいない。
 叙勲前後の頃、筆者は『駒沢記』という作品連載のため、約半年間駒沢の安田幸吉邸に通った。当時の安田邸は、現オリンピック記念公園(旧駒沢コース跡)通りに面し、表玄関は安田ゴルフ製作所としてゴルフクラブの製造販売を行っていた。ある日幸吉翁は、「表玄関は来客で面倒だ。今度から裏庭の垣根を跨いで入って来いよ」と言ってくれた。隠居部屋の縁側に間近い生垣を跨いでの取材詣でが続いた。安田翁の小柄に似ない大きな磊落さが、若い筆者を誘きつけて行ったものだ。
 
 自然美に隠された戦略性
 
 前段の記述のように、ツキサップGCコースの設計者は、原自然の美しさを用心深く大事にしている。 戦略性などという自然美にとってまがまがしいものは控え目に隠されていて、主題は“北海道美”である。 グリーンまわりのバンカーは少ないし、おだやかな表情をしている。グリーンの形も目をおどろかすような変化はない。 すべてが穏やかで調和がとれているのは、それがここの自然には一番似合うからである。
 ラウンドしていて、このコースの“香気”のようなものに触れる想いがするのは、設計手法が人工に奔らず、自然だけが醸す雰囲気を保っているからだ。それがこのコース設計の手柄である。
 だからといってこのコースは、決して攻めてやさしいコースではない。7005ヤードという昭和49年当時としては屈指の長いヤーデージのせいか。 “ヤーデージ”は戦略性を握る大きな要件である。 400ヤーデージ以上のパー4を6ホール揃え、11番ホールのように455ヤードの長さもある。これだけでも十分に難コースである。
 長くまっすぐな廊下のように見える白樺と唐松林立に挟まれたフェアウェイは、自叙伝『ゴルフに生きる』によれば、プレーヤーの眼から両側の谷を隠し、プレーヤーの第1打を助けるためにレイアウトされた配慮だったようだ。 だからグリーンは、さり気なくそこに置かれているだけで十分なのである。 さらにキタキツネの何匹かの姿が、そこにあれば、北海道美として十二分である。
 

クラブ名称     ツキサップゴルフクラブ
コース所在地   北海道札幌市清田区有明412-5
コース規模     18H・7005Y・P72
            コースレート 73.1
設計者       安田幸吉
開場年月日    昭和49年9月21日
経営主体      道央興発(株)