第37回 南山カントリークラブ
“名古屋では青年になる”井上誠一
東京人ゴルファーのイメージにある設計者井上誠一は、「平地の巨匠」である。代表作は、霞ヶ関CC西コース、大利根CC、武蔵CC豊岡コースなど、どれもフラットで端正な展開である。
しかしその東京人も、名古屋地区の、たとえば愛知CC、南山CCへ出かけたとき、彼らはそこで、全く別人の井上誠一とめぐり逢うことになるだろう。
そこで感じられる井上誠一は、練達の巨匠ではなく、初めて念願の働き場所を得たかのように、嬉々と冒険を試みる一人の青年設計者であろう。
井上を昂奮させた土地の一つは、豊田市中金地区35万坪の山林だった。彼は書いている。
「地勢は高低差35米程度ですからそれ程急傾斜ではありません。尾根と谷が複雑に交錯した極めて変化に富んだ地形なので、此の自然地形を極度に利用して高度の戦略性を盛り込んだユニークなコースを造り上げたいものと工夫を凝らしています。地形の変化に加るに樹木の容相、散在する美岩、巨石それに数個のウォーターホールを組み合わせて、各々のホールが夫々趣の異ったキャラクターを持ったものになるよう考えています」(原文のまま)
南山CCより20年早く開場した愛知CCの現地を見た時も井上は、
「ここの最大の長所は、自然地形がゴルフコース用地として理想的であることでした」「こんな素晴しい用地は日本中を探しても恐らく得難いと思いました」
と昂ぶっていて、昂奮をそのまま、第1打で高い丘陵をブラインドで超す冒険的なパー5“アパッチ砦”として具現して見せている。
南山CCの地勢の嶮しさは、愛知CCをさらに超えるものだった。用地の地質は、すぐ近くに70メートルのロッククライミングの練習岩壁があることでも瞭かなように高剛度の岩石質だった。その地勢と土質を逆利用して、「高度の戦略性」をもった話題の難ホールとすることに成功している。
「後生に誇れる最後の傑作」
南山CCは、愛知CC存立の鳴動から生れた落し子だと見ることができる。
愛知CC東山コースは、昭和29年10月、名古屋市郊外東山の愛知県所管都市公園法による牧野ヶ池緑地に造られた18ホールで、やはり井上誠一設計。昔は尾張徳川家の御狩場だった土地である。
名古屋GC和合コースに次ぐ県下2番目のコースだ。井上設計は名古屋でも人気上々だった。
ところが42、43年頃に突然、「県有地にゴルフ場とはけしからん」と県議会の一部が騒ぎ出した。心配した財界の重鎮・佐々部晩穂(CBC会長)が、移転先に豊田市中金地区を手当てした、直後に移転騒ぎは鎮静化する。宙に浮いた形の中金地区に計画されたのが、南山CCである。昭和46年11月15日、CBC中部日本放送を中心に、経営主体の(株)加茂開発を設立、社長佐々部晩穂。47年3月南山カントリークラブ創立、理事長佐々部晩穂。
用地は、岩盤が剥き出した35万坪、尾根と谷が入り組んで、造成工事は大変と思われた。しかし井上は、「私には自信がある。後世に誇れるものを造って、恐らく私の最後の傑作といえるものにしたい」と語っている。(池尾信太郎常務理事)
井上は、全ホールに製図板を立て、現場に立って設計図を書いたという記録があるほど力を入れた。その結果全18ホールが、夫々に優れて印象的だが、その中から選ぶと‥
6番(540ヤード・パー5)設計者は、大岩壁に行手を遮ぎられた狭いフェアウェイを、谷際の尾根上にぐるりと辿らせ、「フェアウェイ中央に長打を放てば良いスコアが出るというコースではない」と高い戦略性を造り上げてみせた。その名は「万里の長城」。
13番(446ヤード・パー4)やや打下しのフェアウェイ右側280ヤードの大岩塊は遂に動かせず残したまま「ロックバンカー」と命名、新種のハザードとしたのがおもしろい。
14番(542ヤード・パー5)ニックネームは地獄谷。第2打で無謀なほどの右ドッグレッグの谷越え。冒険的第2打を試みるか、安全策の3オン狙いか。
南山ではなく難山ではないか、という泣き言もでたようだが、クラブチャンピオン12回の名手久野良二は、「ドライバーはほどほど、240ヤードもとべばどのホールでもグリーンが見える。そこからの挑戦がホール毎に違う。それが南山のおもしろさだ」と語っている。
難山コースで失敗した人には、「上手い人は、いいコースを造っておけば自然に技術が向上する」という井上誠一の言葉を紹介しておこう。因みに、井上は、南山の設計原図だけは、終生手元から離さなかったといわれている。昭和49年5月29日コース造成着工、昭和50年11月1日9ホール仮開場。昭和51年10月9日18ホール正式開場。
昭和57年9月日本アマ 優勝金本勇・291(3オーバー) 準優勝中村好宏・297(9オーバー)
<追記>
南山コースの16、17、18番には、地下にTV放送用ケーブルが埋設されているそうだ。井上は、「TV放送を予定して、最後の3ホールにケーブルを地下に這わせた」と言っている。あれから40年、日本オープンが実現するのに、早すぎるということはないと思うが、如何に。
所在地 愛知県豊田市中金町獅子ヶ谷955
開場日 昭和50年11月1日
コース 18ホール・7034ヤード・パー72
コースレート 73.1
コースレコード アマ 斉藤元一 67
プロ 佐藤達也 64