第87回 レイクウッドゴルフクラブ東コース・西コース
日本の水際設計コースは…
現在の日本のゴルファーは、浮島グリーンへ打つきみさらずGC(平成4年開場・千葉県)17番ホールや、太平洋の海面上の大断崖を飛越させて打つザ・サザンリンクスGC(昭和63年開場・沖縄県)7、8、16、17番ホールのように、水際のドラマチックな難易度を楽しむことができる。海、大池、大川などの深く大きな水際をグリーン、フェアウェイの間近まで引きつけることで難易度(併せて修景美)を増幅させたウォーター・カムズ・イン設計で成功したコースが、多く現われたからである。
昭和50年代以降、わが国でも、ジャック・ニクラス、ピート・ダイ、マイケル・ポーレット、ジム・ファジオなど、水際設計で戦略性、就景美を強調したコースを多く残している。
しかしそれまでの日本ゴルフ界の設計哲学では、水は低きに流れるという自然の摂理に従順で、池も川も、グリーンやフェアウェイから下流へ、遠くへ置かれていることが多く、広くて平坦でストレートなホールが名ホールで通っていた。戦前からのコース造りの遺風がまだ残っていた時代だ。
そして日本のゴルフコース設計者たちが初めてアメリカの手法ウォーター・カムズインと出逢うのは、昭和45年までおくれる。その第1号の逢遇がレイクウッドゴルフクラブ西コース、設計者テオドール・G・ロビンソンだった。
T・G・ロビンソンの足跡
テオドール・G・ロビンソン(Theodore G Robinson)=テッド・ロビンソン。1923年カリフォルニア州生れ。カリフォルニア大海事科学科卒、南カリフォルニア大造園科卒。土地開発、造園設計の会社に勤めた後、設計事務所設立。ゴルフ場設計も取り入れ、1970年以降、ゴルフ場設計専門で活躍。米国西部のパームスプリングスを中心にメキシコ、東洋と広く多数。その設計の特徴は水景を大胆に取入れたウォーター・ランドスケープ(水の景観)を展開した斬新な美学である。日本では、昭和45年10月4日開場のレイクウッドゴルフクラブ西コースを設計する。1983年全米ゴルフコース設計者協会会長に就任。(「佐藤昌が見た世界のゴルフコース発達史」による)
設計したコースは、パームスプリングを中心に、美しい姿をもった優雅で穏和な展開のコースが主である。彼のコースにはどこにも酷薄さがない。もしペナルティを取られたとしても、それは設計やコース展開のせいではなく、プレーヤーのプレーの責任だという評価が主である。
日本人では小林光昭がレイクウッド造成の仕事でロビンソンの下で働き、その後彼の設計手法、美学を受け継いで日本随一の“水際設計”の仕事をキングフィールズ、浜野、鳩山などに残している。
水際設計第一号は西コース
西コースと東コース、ともに水際設計ながら、より戦略的に整えられているのはどちらかといえば、東コースだろう。しかし水際設計の王と言われたT・ロビンソンとの最初の逢遇者という意味で、西コースから話を進めよう。
西コース18ホール(6586ヤード、パー72)のうち、プレーライン間近く水面を引き付けているのは13、17、18番ホールである。
13番ホール(388ヤード、パー4)は、ハードヒッターなら第1打で左に池を越えるかどうか、という挑戦力を唆れるホール、並みのプレーヤーにはドロー気味に飛んだボールが水際にころがり込む心配が生れそう。その程度に水面が絡んでいるホールである。
17番ホール(169ヤード、パー3)は左側の池が大きくグリーンとティの間に介在している構図で、この水面は“越えるだけの”のハザードとして気にすることはない。グリーンの間際まで水を引き寄せた美しい姿を楽しめば足りる。
18番ホール(371ヤード・パー4)は、左側に大きな池を伴走させながら、クラブハウスの足元までフェアウェイを伸ばしたツーショッターである。パーセーブのための2オンができるかどうか、それが難し気に見えるのは、左に池、右にティからグリーンまでつづく樹林を伴走させているからだ。右にバーチカルハザード、左に池というホリゾンタルハザードを配したフェアウェイは、心理的にひどく狭く見える。左に池を抱えての第2打は、左脇を堅くする意識が働きすぎてプルボールが出やすいし、ストレートにこだわり過ぎて、逆に右へそらし勝ちとなる。左の水際を辿ってきた3オン狙いの第3打は、グリーンへ小さな池越えとなるものの、フェアウェイの柔かく小さなウェーブに隠されて、グリーン面が読み難いことも要注意である。
東コース18番ホール
水際設計のお手本
西コースに比べれば東コースは、より戦略的に強調されている。特に、18番ホールの見事な水際戦略の出来具合は、ワケ知りの上級ゴルフならティグラウンドに立った瞬間に、身ぶるいを感じるだろう。
18番ホール(547ヤード・パー5)そんなに長くは感じない。しかし第1打のフェアウェイは、左も池、右も水面で、殆んど浮島である。まずそこにうまく落すことに神経が疲れる。ゲームプランもなく、ランディングゾーンを特定することもなく、広くて平坦なフェアウェイへ打つことに馴れてきた一般の古いゴルファーなら、ティアップした途端に足が竦む気分だろう。そして…
第1打でゲームプラン通りに打てなかったボールは、第2打で再び思い悩むことになる。左へショートすれば第3打は再び池越えとなるし、右へ打てば、右サイドのOB線が近い。しかも2打、3打と続いてフェアウェイは、前上り、左流れに池へ傾斜し、グリーンへ近づくに従ってますますきびしくしぼり込まれている。
水際のきびしさを、このホールほどフェアウェイぎりぎり、間際まで引きつけて見せた例は、このコースが日本初のことであろう。
レイクウッドゴルフクラブ東コースの最終ホールは、水面と水際の面白さ、美しさそして凄さを集約した点で、随一のコースである。
原稿の最終に一つのエピソードを紹介する。
昭和40年代前期西コース着工前のプレス会見で、創業者の大森政男氏が豪放に語った話によると、レイクウッドゴルフコース約40万坪の用地調査に入ったところ、用地内から陸続として砂利層が出てきた、それも磨き上げたような玉砂利だったという。
「この辺は、一帯が小さな丘陵ですが、玉砂利が出るところをみると、その昔河底だった、それが隆起して丘になったのですね」
玉砂利は、川砂利の中でも飛び切りの高級建材である。
「この宝の玉砂利を掘り尽して、その後でゴルフコースを造ればいいわけですよ」
その売却益はゴルフコースを造るに充分だったかどうか、当初はパブリックコースとして開場しているが、如何に?
レイクウッドゴルフクラブ 東コース・西コース
コース所在地 神奈川県中郡大磯町黒岩169
コース規模 西コース18H・6586Y・P72
東コース18H・6524Y・P72
コースレート 西 70.4 東 69.2
開場年月日 昭和45年10月4日
設計者 テオドール・G・ロビンソン
経営 ㈱レイクウッドコーポレーション