第76回 恵庭カントリー倶楽部

 

 

鮮烈恵庭CCとの最初の邂逅 
 
 恵庭カントリー倶楽部との初めての邂逅は、鮮烈だった。
 深山への路を上るかのように、約2キロのエントランスロードを走る。その先に、忽然と現れたクラブハウスは、広い水面に浮いた2500坪の、白銀色の外観をもったパレス(宮殿)という風格であった。
 バブル景気で、豪華クラブハウスがトレンドになっていた時代だが、この建物は、規模、設備は道内屈指、贅をつくしながらなお豪華さを衒っていない、それがクラブハウス全空間にそこはかとなく漂っていて、品のいい雰囲気にしているのだ。
 クラブハウス内だけではない。コースの景色もどこか香ぐわしい。柏、白樺は北海道ではどこにもある景色だと思い、視野をめぐらしていたら主役を発見した。それはグリーン廻りに、用心深く離して置かれたパールサンドに白く光るバンカーだ。
 それらのバンカーは、いずれも大ぶりで眩しいまでに光っていて、目立ちたがっている。大ぶりでデザインに意匠性がある。図形、配置がまるでドラマの舞台装置のように工夫されている。しかも、それらのバンカーは一目瞭然、まるで描かれた絵を見ているように、見事に美しい修景である。
 恵庭CCのバンカーは、その殆んどが、戦略性としてではなく修景としてデザインされ、置かれているのだと、思い込まされてしまうのだが、どうだろうか。
 初めてラウンドした後、筆者はこのことを、「特に摩周3番、阿寒2番、5番、6番ホールは、バンカーを措いては魅力を語ることはできないだろう」とまで書いている。
 「摩周、阿寒の最終ホールのグリーン左前には、いずれも人の背を没するような深いヘルバンカーが置かれているが、この“定型”性も、一種の洒落れとして納得できるのは27ホール全体が馥郁とした高級感、香ぐわしさで染っていたからだ。
 果してそうだろうか。各ホールともティからフェアウェイ、グリーンが見通し、大きなバンカーがクローズアップして見えているのは、第1打からバンカーまでの距離感と、選択された距離感から導き出される攻めラインの選択に、戦略的な優劣を見ようとする設計者の深謀遠慮があるのではないか、と思ったりもしたものだ。

人気設計家富沢誠造を支えた息子廣親
 
 このコース設計の富沢廣親は、昭和30、40、50年代のゴルフ場設計界を井上誠一と二分して活躍した富沢誠造の長男である。父誠造は戦前の武蔵野GCのコース築造、管理に働き、戦後直ぐ27年開場の川崎国際CC(現・生田緑地)で設計者井上誠一の下で働いて設計術を覚えている。そして廣親もそこで父の下で働いていた。父誠造は、その後昭和30~50年代に千葉CC、琵琶湖CC、船橋CCなど70コース、廣親は、片山津・山代など22コース、親子共作が富士・明智など9コース計101コースの業績を残している。誠造・廣親父子は、戦後のゴルフ場ブームを形影相伴うようにして人気を上げてきた。形は誠造、影は廣親である。だから廣親の仕事の個性、真骨頂はなかなか見えにくいという期間が長かった。
 誠造設計は、グリーンのメンテナンス効果のいいグリーン築造、管理技術で定評があった。ベントと高麗の2面グリーン時代の“巨匠”といわれた。廣親はその影にあって富沢設計を支え続けたので、彼もまた父親譲りの旧手法の設計者・アーキテクトというイメージで見られていた。
 変った顔の富沢廣親を見せ始めたのは、ウイルソン・ロイヤルやさとコースからだ。1グリーン、アメリカンナイズされた手法には、“誠造離れ”の顔立ちがはっきりと見え始めた。
 「富沢廣親さんは最近、時間を見つけては米国へ渡りよく勉強されています」
 という噂を聞いたのは、その頃である。

バンカーが織る“北海道の詩情”
 
 平成4年7月には、二度目の恵庭カントリー倶楽部でのプレーだった。
 7月の恵庭は、匂い立つようだった。相変わらず大きくて白くひかるバンカーが目立つが、目立つのは、美しさを人工ではなく、自然に語らせているからだと判った。自然樹の柏、赤蝦夷松、それに高い幹立ちの白樺が、スルーザ・グリーンを美しく縁取っていて、樹影は深いのだが、明るい陽光を映して、柏、白樺の若葉が微風にひるがえる様子は、さながら印象派の名画であった。
 バンカーの数、配置、デザインは戦略性からも重要な設計テーマである。同時に、そのホール、そのコースの個性美を彫るのはバンカーデザイン、数、配置である。
 恵庭コースでは、たとえば摩周コース8番左サイドに置かれた三重のフェアウェイバンカーに代表されるように、戦略性よりも修景的な主張で置かれたケースが少なくない。摩周コース3番ホールのグリーン周りのバンカーリング、阿寒コース2番ホールの左サイドに置かれた三重のフェアウェイバンカー、7番ホールの左側に並べられたフェアウェイバンカーなどなど。
 阿寒コース5番ホールにいたっては、バンカーの絵巻物のような眺めである。
 これらのバンカーは、どれをとっても、大きく且つ形にこだわっている。
 これだけのバンカーが、戦略的な意向だけ(或いは、それを主として)で置かれていたら、プレーヤーは恐らく、ストレスに悩まされることになっただろうが、恵庭コースでは、煩しいほど多いバンカーと感じられないのは、注意深く修景の役割で配置されているからだ。このコースでは、人工美の装置であるどのバンカーも、どんな形ででも、白樺、柏などの自然美と競い合おうとはしていないのだ。真白く耀くバンカーの砂も、注意深く柏、白樺の緑と一番美しく映える“白”を選んだかのように見える。
 このコースには、チョコレートドロップも、スコットランドのような大きなうねりのマウンドもない。自然の柔かい斜面から流れた曲線、ふくらみを残しているだけで、十分である。
 富沢廣親という設計家は、デザイン的な美を創り出す能力を持ちながら、それを自然の美しさと競わせようとしていない。その抑制された美学が、このコースを匂い立つような美しさにしているのである。
 
 美しいバンカーデザインと自然の姿を残して詩情あふれる世界を創ってみせる。それは米国でトム・ファジオが提案した世界である。富沢廣親は、恵庭カントリー倶楽部で、それに近い“ひとつの完結”をつくり上げたのであろうか。昭和63年56歳で死去、残念。
 (この文章は、平成4年小生発行のゴルフ紙に発表した記事に、加筆、修正したものです。 筆者)

所在地     北海道恵庭市盤尻53-2
コース規模   摩周 9H 3452Y・P36
          阿寒 9H 3468Y・P36
          支笏 9H 3504Y・P36
コースレート  阿寒・支笏73.2
設計者     富沢 廣親
開場年月日  平成3年6月4日
経営       恵庭開発(株)