第80回 葛城ゴルフ倶楽部

葛城ゴルフ倶楽部 山名コース 2番ホール

葛城ゴルフ倶楽部 山名コース 2番ホール

 

 

 城をイメージさせる“北の丸”の魅力
 
 葛城ゴルフ倶楽部でプレーする機会があったら、日帰りでなく、一泊ゴルフを奨めたい。コースも、山名、宇刈の36ホールがある。しかしそれが理由ではない。
 葛城GCには、他のゴルフリゾートにはない、優れて独特なホスピタリティがある。それは一泊しなければ、堪能できないのである。
 その魅力の中心は、北の丸である。城郭のような名称だが、実は、北陸の民家を移築したものだというが、民家というより豪壮で、城郭でもあり、陣屏風でもある。要するに城のイメージでまとめられた小宇宙が、他になりホスピタリティの舞台である。
 プレーの前夜、北の丸に宿を籍りれば、気持ちまで武士気分、こころも強くなって、「葛城に来るたびに、ゴルフのスコアがよくなる」
という人までいる。
 北の丸には乱痴気騒ぎはないが、昔の武家屋敷を思わせる静かなくつろぎがある。
 20年前、創業者の川上源一氏と、北の丸で夜の食事を一緒にしたことがある。その時川上氏は、楽し気に、
 「北の丸で立ち働いている女性は、皆短大卒ですよ」
と漏らしたことがあった。その言葉に、ふと筆者は、アメリカでの経験を思い出していた。何年前か、米国東海岸の南部、米国ツアーゴルフ機構の本部があるTPCソーグラスコースでの、ワンシーンを連想した。
 その時饗応してくれた米国プロツアー機構の幹部が、サービスしてくれる女性たちを顧みて、
  「彼女たちは揃って、カレッジ(単科大学)を卒業したインテリーですよ」
と自慢気に語ってくれた。あの1シーンを思い出した。
 「北の丸」には、いわゆるホステスサービスはない。あるのは控えめな物腰の気品あるサービスだった。だからといってバブリーな雰囲気もない、洗練されたゴルフリゾートだった。
 
 井上誠一の“もう一つの顔”
 
 葛城ゴルフ倶楽部は、位置的には手前の低い部分に宇刈コース、奥の高所に山名コース、それぞれ18ホールの計36ホールである。設計は、いずれも日本ゴルフ史上最高と評価される井上誠一である。
 井上誠一は戦前からの設計者である。初仕事は会員でもあった霞ヶ関CC西コース(昭和7年開場)。主な代表作は、戦後に入ってから大洗GC(昭和28年)、龍ヶ崎CC(昭和33年)武蔵CC豊岡、笹井コース(昭和34年)、鷹之台CC(昭和29年)、大利根CC(昭和35年)と、主にフラットな平野及至おだやかな丘陵地に集中していた。それも関東地方中心である。
 昭和30年代、関東及至東京地方のゴルフ界では、地形がフラットで、フェアウェイの両側を松の林立にセパレートされた7000ヤード級のゴルフコースが、名門コースだという概念が信じられていた。林間コースという表現も幅を利かしていた。その代表的な名匠が井上誠一や宮沢誠造だった。
 これは、関東平野に戦前早くから生れた名門倶楽部のコースが、関東平野のあちこちに拡がっていた松の平地林に造られたことに始まる。昭和4年霞ヶ関CC東コースが、埼玉県入間川地区の松の平地林に着工する。松は、建築材にも家具の材料にも使えない。使い途を探していた発知庄平という地主代表が、駒沢からの引っ越し先を探していた東京GCの一部の動きを捉えたのである。すぐ後に続いて東京GCの主力グループも、同じ松の平地林の隣に引き越したのだ。そして戦後は、武蔵CC、日高CC、飯能CCと続く。いずれも松に彩られた美形のコースだった。
 そこから“松にセパレートされたフラットな7000ヤード”が名コースを語る流行語のように流行った。そしてその代表が井上誠一であるかのように、思い込んで来たのだ。
 しかし関東地方を離れると井上誠一は、“平地の巨匠”から離れている。愛知CC(昭和29年)14番ホールではアパッチ砦というコルト・アリソン発想の三角定理を応用した大胆な戦略ホールを試みているし、南山CCでも岩壁をぐるりと回る6番ホール“万里の長城”大きな岩塊をそのまま13番ロックバンカーとして採用するなど、大きな地形変化にも大胆に対応して成功している。
 札幌GC輪厚コース(昭和33年)17番の大胆な三角定理を活かしたドッグレッグ戦略もそうだ。
 葛城GC山名コースも、関東地区では見られない“もう1人の井上誠一”の真骨頂を発揮した作品である。関東地区の平坦な名門コースとしての井上設計しかしらないゴルファーには意外と思われるくらいに自在に、井上誠一の山コース設計のモチーフが発揮されている。
 たとえば、井上氏独特のハンモックバンカー(西瓜の赤い実を丸かじりにしたイメージの造型)を、数多く思うままに配置している。
 山名コースでは15、16番ホールがやや急峻な地形だが、15番(512ヤード、パー5)では、バンカーを13個と数多く配置することで、一種デザイン化された戦略図を描いてみせた。16番(443ヤード・パー4)では、急激な打ち下しという地形を逆 用して、駿河灘の遠景を望見せることに成功している。
 これらデザイン性の強い戦略設計は“平地の名コース”とは無縁、むしろ110個のフラッシュバンカー“白い鴎”を自在に飛ばせた最後の作品大原・御宿コースで発揮したデザイン力に通じるものが感じられる。

 勇者になれるか、2番ホール

 とはいえ最も印象的な戦略的ホールは、2番ホール(431ヤード・パー4)である。
 1番ホールから這い上がってきた高見の丘の上にテイはある。正面を見遙かすと直線で450ヤード先に2つのグリーンがある。その大きな打下しのその足下には、広い林帯を抱えた深い谷がある。その上を越えて300ヤード、一直線に勇者の戦略ラインが延びている。成功すれば追い風1オンもあるし、大きな報酬が待っている。
 一方、左の谷間へは安全ルートが用意されている。緩やかに打ち下し、運びながら左から右へ林帯をめぐって迂回、第2打で間に横たわる大バンカーを上手に越えることができればパーセーブも。第1打をボール・ライのいい僅かな平坦地に落せるかどうか、こちらも第1打が肝心。
  今日では、戦略的設計の定法になっているコルト・アリソンが開発した英雄型デザインの巧みな応用、そして地形を巧妙に捉えて劇化した戦略設計である。
 
所在地     静岡県袋井市宇刈2505-2
コース規模   山名18ホール・6960ヤード・パー72
          宇刈18ホール・6912ヤード・パー72 
コースレート  山名・宇刈とも72.3
設計者     共に井上誠一
開場年月日  昭和51年9月11日
経営       (株)葛城